マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

今川義元のこと(21)

 今川(いまがわ)義元(よしもと)をはじめとする戦国期・今川氏の研究で定評のある歴史学者の方が――
 ご自身の研究を始められた際に――
 
 こう――
 いわれたそうです。
 
 ――今川の研究なんかして、何になる?
 
 ……
 
 ……
 
 そう、いったほうの気持ちは――
 ある程度わかります。
 
 ――次代を担った織田信長という風雲児の器量を見破れず、ただの歴史の敗者となった。そんな今川氏に着目をする意義が、どこにある?
 
 ということです。
 
 簡単にいえば、
 
 ――今川義元から学ぶくらいなら、織田信長豊臣秀吉徳川家康から学ばねばならない。
 
 ということです。
 
 ……
 
 ……
 
 たしかに、
 
 ――失敗から学べることはない。成功から学ばねばならない。
 
 と固く信じている人たちにとっては――
 今川義元から学ぶことは少ないといえましょう。
 
 幼くして寺に入れられながら、
 
 ――海道一の弓取り
 
 といわれるまでに成長した桶狭間(おけはざま)以前の今川義元から学ぶのが――
 精一杯であるに違いありません。
 
 が――
 この『道草日記』を繰り返しご覧の方は――
 よくご存じのように――
 
 僕は、
 
 ――成功から学べることはない。失敗から学ばねばならない。
 
 と考えています。
 
 その理由は、
 
 ――偶然の成功はあっても、偶然の失敗はないから――
 
 です。
 
 あるいは、
 
 ――失敗は必然だが、成功は必然とは限らないから――
 
 です。
 
 ……
 
 ……
 
 しばしば――
 歴史ファンの間でささやかれるのは、
 
 ――今川義元は運が悪かった。
 
 ということです。
 
 ――相手が稀代の革命児と知らずに戦いを挑み、油断をし、敗れて戦死したのだ。
 
 と――
 
 そう考えているうちは――
 今川義元から学ぶ気持ちには、なりません。
 
 そうではなくて――
 
 ……
 
 ……
 
 ――今川義元は、どう転んでも桶狭間で殺されていた。
 
 と考えてみる――
 
 ――織田信長は、たまたま桶狭間で負けずに済んだ。
 
 と考えてみる――
 
 そう考えてみることで初めて――
 今川義元のことや今川氏のことから、
 
 ――学ぼう。
 
 という気持ちが芽生えてきます。
 
 ……
 
 ……
 
 失敗から学ぶのは――
 概して面白くありません。
 
 むしろ、ツラいくらいです。
 
 先ほど、
 
 ――今川の研究なんかして、何になる?
 
 といった人の気持ちはわかる、と――
 僕が述べたのも――
 そうしたことによります。
 
 が――
 
 ……
 
 ……
 
 ――失敗は必然
 
 なのです。
 
 ――成功は偶然――少なくとも、必然とは限らない。
 
 なのです。
 
 学ぶのなら――
 偶然ではなく、必然です。
 
 不確かなことより、確かなことを学びたい――
 
 ……
 
 ……
 
 織田信長は、不確かです。
 
 豊臣秀吉徳川家康も、不確かです。
 
 確かなのは――
 今川義元です。
 
 少なくとも――
 前三者よりは、はるかに確かです。