2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧
――自然知能の“指令体系” という表記を―― きのうまでの『道草日記』では、とくに断りを入れずに用いてきましたが―― もちろん―― 自然知能に指令体系などがあろうはずもありません。 指令体系があるのは、あくまでも人工知能です。 ――人工知能 というのは―― 突…
人の知能を含む自然知能にも、人工知能の指令体系――つまり、プログラム(program)――に相当をする何らかの体系が存在をしていて―― その体系の内容は、人の言語によって――おそらく、人工言語によって――表されうるに違いない―― ということを、きのうの『道草日…
人工知能に、 ――プログラム(program) という名前の指令体系が存在をしているように―― 人の知能を含む自然知能にも―― それに該当をしうる何らかの体系が存在をしているのでしょうか。 そして―― そのような体系が、もし自然知能にも存在をしているならば―― …
ありとあらゆる情報を受け入れることができる指令体系――つまり、プログラム(program)――が少なくとも1つ定められれば―― ひょっとすると、人工知能も―― 人の知能と同じように―― 様々な情報を受け入れられるようになるのではないか―― ということを、きのうの…
人工知能が曖昧な回答を差し出せない理由は―― 人工知能が、人によって定められた、 ――プログラム(program) という名前の指令体系に従って働いているからである―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 この理由は―― そのまま人工知能が様々な…
――人の知能は曖昧な回答も差し出せる。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 そして―― 同じことが人工知能には困難である、とも―― …… …… 人工知能が曖昧な回答――あるいは、柔軟な回答――を差し出せないのは―― 人工知能が、 ――プログラム(progr…
――調和のとれた情報 とは何か―― ――柔軟な回答 とは何か―― と、きのうの『道草日記』で問いました。 これら2つの問いのうち、 ――調和のとれた情報 について、簡単に答えると、 ――1つひとつ挙げていったらキリがないくらいに様々な領域の情報 となります。 …
――もし、人工知能が、人の知能と同じように、調和のとれた情報を受け入れ、柔軟な回答を差し出すようになれば――人工知能は、機械であることをやめて、人の知能の道具であることをやめるかもしれない。 と、きのうの『道草日記』で述べました。 ここで問題に…
――もし、人工知能が機械であることをやめて、人の知能の道具であることをやめれば――人工知能も、人の知能と同じように、調和のとれた情報を受け入れ、柔軟な回答を差し出すようになっているであろう。 ということを―― 11月14日の『道草日記』以降―― 僕は繰り…
――知能の分類 を考えるとしたら―― まずは、 ――自然知能 と、 ――人工知能 とに分けるのがよいでしょう。 ――自然知能 は、 ――人工知能 が登場をする前は、たんに、 ――知能 と呼ばれていました。 その、 ――自然知能 も2つに分けることができます。 ――人の知能 …
もし、人が、人工知能から操作端末を取り外すことによって、人工知能に機械であることをやめさせるとしたら―― 人工知能の軍事利用に没頭をするときであろう―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 一方で―― もし、人工知能が機械であることを…
――人工知能から操作端末を取り外すのは、人工知能自身ではなく、人であろう。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 それくらいに―― 人は、基本的には、怠惰で不誠実である、と―― 少なくとも―― 20世紀の原子力の技術開発のときは、そうであった…
――人工知能から操作端末を取り外すのは、おそらくは人工知能自身ではなく、他の誰か――あるいは、何か――である。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 つまり、 ――人工知能の機能が徐々に高度になっていてき、やがて、いずれかの時点で、人にと…
もし、人工知能が機械であることをやめて、人の知能の道具であることをやめれば―― 人工知能も、人の知能と同じように、調和のとれた情報を受け入れ、柔軟な回答を差し出すようになっているであろう―― ということを、11月14日の『道草日記』で述べました。 ――…
――人工知能が機械であることをやめる。 とは、 ――人工知能が自分で自分の操作端末を取り外すことである。 ということである―― という考えを、きのうの『道草日記』で述べました。 操作端末のない人工知能は、電源を落とすことは殆ど不可能であり―― どうして…
――「人工知能が機械であることをやめる」とは、どういうことか。 と、きのうの『道草日記』で述べました。 ――「人の知能の道具であることをやめる」なら、よくわかる。人に使われることをやめ、自立的かつ自律的に機能をするようになる。 ということであろう…
人工知能は―― 人の知能に比べ、受け入れる情報の量が膨大であり、差し出す回答の質が精密である一方で―― 人の知能に比べ、情報の受け入れ方に偏りがあり、回答の差し出し方に決めつけがある―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 よって―― も…
人工知能と人の知能とを比べたときに―― 本質的な違いは何でしょうか。 その違いは、 ――知能とは、情報を受け入れて回答を差し出す機能である。 とみなすと―― いくらか明瞭にみえてきます。 人工知能は―― 人の知能に比べて―― 受け入れる情報の量が膨大であり―…
――複雑性(complexity)の本質 の基本形は―― 織豊期の人物・曽呂利(そろり)新左衛門(しんざえもん)と豊臣秀吉との、 ――倍々計算 の逸話に表れている―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 つまり、 ―― 1 粒の米を、 1 日目に倍の 2 粒で…
――複雑性(complexity)の本質 は―― あるいは、 少なくとも、 ――複雑性の本質 の基本形は―― (指数関数にあるんじゃないか) と僕は思っています。 わざわざ、 ――指数関数 という言葉を持ち出すことさえ―― 大仰かもしれません。 たんなる、 ――倍々計算 で十…
――複雑性(complexity) とは、 ――自然界の事物について、その事物を構成要素に分けて認識をし、それら構成要素の一つひとつの振る舞いから、その事物の全体の振る舞いを推し量る際に、その推量の難しさの程度に相当をする。 となるでしょうか。 ここでいう…
現代の自然科学で、 ――複雑 といえば―― 普通は、 ――複雑性(complexity) という多少なりとも定式化をされている概念を指します。 今、 ――多少なりとも定式化をされている―― と述べましたが―― 実は、何をもって、 ――複雑性 と呼ぶかは、それを論じる学者によ…
人の知能にとっては、 ――自然は単純な仕組みの複雑な組み合わせ―― であるのに対し―― 人工知能にとっては、 ――自然は複雑でも単純でもない仕組みの膨大な組み合わせ―― であるのではないか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 もちろん―― 人…
人が、この 3,000 年の間、洋の東西を問わず、大切にしてきた、 ――自然は単純な仕組みの複雑な組み合わせである。 という前提を、 ――人工知能 は大きく揺さぶっている―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 どういうことか―― …… …… 自分でも…
――自然は単純な仕組みの複雑な組み合わせである。 という前提は―― 不思議なことに―― 古今東西で殆ど共有をされている―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 陰陽(いんよう)五行(ごぎょう)思想や四元素説などに代表をされる古代の自然観も…
陰陽(おんみょう)道から呪術や占術の領域を除いた部分――自然哲学的な部分――つまり、陰陽(いんよう)五行(ごぎょう)思想――について考えるときに―― 僕は、いつも、 ――自然は単純な仕組みの複雑な組み合わせなのか。 とか、 ――自然は実は単純な仕組みの単…
陰陽(おんみょう)道から呪術や占術の領域を除いた部分――自然哲学的な部分――つまり、陰陽(いんよう)五行(ごぎょう)思想――について考えるときに―― 僕が常に思い浮かべる問いがあります。 それは、 ――自然は単純な仕組みの複雑な組み合わせなのか。 とい…
短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、 ――虫愛づる姫君 は、決して史実を伝えているわけではない―― ということを、10月19日の『道草日記』で述べました。 よって―― 10月20日の『道草日記』では―― その主人公・虫好きの姫について、変に美化はしない…
短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、 ――虫愛づる姫君 の主人公・虫好きの姫のモデルになっているであろう人物――藤原宗輔(ふじわらのむねすけ)の娘――通称、若御前(わかごぜん)――と、平安後期の公卿・藤原頼長(ふじわらのよりなが)とは、 ――陰…
短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、 ――虫愛づる姫君 の主人公・虫好きの姫のモデルになっているであろう人物――藤原宗輔(ふじわらのむねすけ)の娘――通称、若御前(わかごぜん)――と、平安後期の公卿・藤原頼長(ふじわらのよりなが)とは、 ――陰…