マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人工知能は人の知能の一部が特化や強化をされたもの

 ――知能の分類

 を考えるとしたら――

 まずは、

 ――自然知能

 と、

 ――人工知能

 とに分けるのがよいでしょう。

 

 ――自然知能

 は、

 ――人工知能

 が登場をする前は、たんに、

 ――知能

 と呼ばれていました。

 

 その、

 ――自然知能

 も2つに分けることができます。

 

 ――人の知能

 と、

 ――人以外の知能

 との2つです。

 

 ――人以外の知能

 というのは――

 例えば、

 ――動物の知能

 です。

 

 昨今では、

 ――植物にも知能がある。

 といわれ始めています。

 

 自然界は、実は、

 ――人以外の知能

 でも溢れています。

 

 よって、

 ――知能

 は、少なくとも3つの分けられる――

 といえます。

 

 ――人の知能

 ――人以外の知能

 ――人工知能

 の3つです。

 

 これら3つのうち、

 ――人工知能

 は、

 ――人の知能の一部が特化をされたり、強化をされたりしたもの

 とみなせます。

 

 ――人工知能

 を作り出したのは、

 ――人の知能

 ですから――

 そのようにみなせることは――

 少なくとも直感的には――

 当然です。

 

 ただし――

 あくまでも、

 ――人の知能の一部

 であって――

 決して、

 ――人の知能の全部が鈍化をされたり、略化をされたりしたもの

 ではなく――

 ましてや、

 ――人の知能の全部が特化をされたり、強化をされたりしたもの

 ではありえない――

 ということに留意が必要です。

 

 よって――

 11月14日の『道草日記』で僕は――

 もし、人工知能が機械であることをやめて、人の知能の道具であることをやめれば――

 人工知能も、人の知能と同じように、調和のとれた情報を受け入れ、柔軟な回答を差し出すようになっているであろう――

 と述べましたが――

 その、

 ――調和のとれた情報を受け入れ、柔軟な回答を差し出す人工知能

 というのは、

 ――人の知能とは似ても似つかぬ知能

 であることを――

 僕らは肝に銘じる必要があります。

 

 ――人工知能

 は、あくまでも、

 ――人の知能

 の一部です。

 

 一部が全部の模倣をしたり、相似になったりすることは、ふつうは、ありえません。

 一部は、全部と比べれば、基本的には異質なのです。