マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

2022-07-01から1ヶ月間の記事一覧

失敗をした分だけ、成功へ近づける?

――成功の秘訣 を教えてほしい―― よく耳にする要望です。 これに対し、 ――“成功の秘訣”とは、要するに“失敗の秘訣”のことである。 などと答えると、 ――それはウソだ。 との指摘が返ってくることもあります。 きのうの『道草日記』で述べた通り、 ――“成功の秘…

失敗の秘訣

――成功の秘訣 とは、 ――再起不能の失敗を避け、相異なる再起可能の失敗を繰り返し、相異なる教訓を得て修正を施すことによって、ただひたすらに成功の確率を上げていく。 ということである―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 この「成功の…

成功の秘訣

――成功は偶然、失敗は必然―― ということを、2015年8月30日の『道草日記』で述べました。 成功は本質的には偶然に依拠をしているために―― いくら成功から教訓を得ようとしても無駄である―― むしろ失敗から教訓を得ようとすることのほうが重要である―― という…

自分の自然観や社会観、人間観や人生観の個性がみえてくる

あすの自分は、もう、この世界にいないかもしれない―― ということを少し思うだけで―― 世界の見え方は違ってくる―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 世界のどこを見て、どこに心を動かし、どこへ働きかけるのか―― その意図が、世界の見え方…

あすの自分は、もう、この世界にいないかもしれない

――誰かの命が失われる失敗 と日常生活において厳しく対峙をしている人というのは―― そんなに多くない―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 日常生活において、 ――誰かの命が失われる失敗 に一定の頻度で接している人は―― そうでない人と比べ…

「利益獲得の失敗か、損害回避の失敗か」が重要である理由

失敗を論じる上で最も重要なことは、 利益獲得の失敗 損害回避の失敗 利益獲得の失敗かつ損害回避の失敗 の3つの失敗のうち、 損害回避の失敗 利益獲得の失敗かつ損害回避の失敗 の2つの失敗から、いかにして ――再起不能の失敗 を見つけ出して―― かつ―― そ…

失敗を論じる上で最も重要なこと

――失敗 の分類には、 ――再起可能の失敗か、再起不能の失敗か。 という切り口のほかに、 ――利益獲得の失敗か、損害回避の失敗か。 という切り口がある―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 実は―― 厳密には、 ――失敗 の分類の切り口は3つな…

利益獲得の失敗と損害回避の失敗と

――失敗 には、 ――再起可能の失敗 と、 ――再起不能の失敗 との2種類がある―― ということを、7月13日の『道草日記』以降、繰り返し述べてきました。 一方で―― 2015年4月15日の『道草日記』では、 ――失敗 には、 ――利益獲得の失敗 と、 ――損害回避の失敗 との…

心の底から挑戦をしたいと思うのなら

――30歳を過ぎてから新しい仕事に挑戦をして失敗をする。 ということについて―― きのうの『道草日記』で述べました。 本当に挑戦をしたいのなら―― 失敗のことなどは考えずに―― どんどん挑戦をすればよいと思うのです。 本当に―― 心の底から挑戦をしたいと思う…

30歳を過ぎてから新しい仕事に挑戦をして失敗をする

――失われる人命の数の期待値が 1 未満 という基準を用い、 ――再起不能の失敗 から、 ――再起可能の失敗 が区別をされうる―― ということを、きのう・おとといの『道草日記』で述べました。 失われる人命の数の期待値が 1 以上の失敗なら、 ――再起不能の失敗 で…

「失われる人命の数の期待値が 1 未満」で本当によいか

――再起可能の失敗 を、 ――再起不能の失敗 から選り分けるために、 ――失われる人命の数の期待値が 1 未満 という基準を用いてはどうか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 つまり―― ある失敗について―― その失敗が起こったときに―― 失われる…

「失われる人命の数の期待値が 1 未満」という基準

――再起可能の失敗 と、 ――再起不能の失敗 との区別を明確につけるためには、 ――誰かの命が失われる可能性 をある水準で切り捨てる必要があり―― その水準は―― 統計学の慣例に従えば、 ――確率 5 %未満 である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べまし…

どれくらい低い確率のときに無視をするか

――再起可能の失敗 と、 ――再起不能の失敗 との区別を明確につけるために―― ――誰かの命が失われる可能性 が十分に低いときには―― その可能性の確率をゼロとみなすのがよい―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 が―― 具体的に、どれくらいの確…

再起可能の失敗が再起不能の失敗から区別をされるには?

――再起可能の失敗と再起不能の失敗とは本当に区別ができるのか。 という疑問について―― きのうの『道草日記』で述べました。 例えば―― 次のような疑問です。 ――「会社を興して会社を潰すのも、結婚をして離婚をするのも、誰かの命が失われるわけではないから…

再起可能の失敗と再起不能の失敗と――本当に区別はできるのか

――“再起可能の失敗”は真の意味での失敗ではない。真の意味での失敗は、常に“再起不能の失敗”である。そう考えてはどうか。 という提案を、きのうの『道草日記』で示しました。 あらためて述べますと、 ――再起可能の失敗 とは、 ――誰かの命が失われるわけでは…

再起可能なら真の意味での失敗ではない

――失敗 について考えています。 おそらく―― 人の失敗の9割以上は―― あるいは―― ひょっとすると9割9分9厘以上は―― ――再起可能の失敗 であり―― その残りの失敗が、 ――再起不能の失敗 なのです。 そして、 ――再起不能の失敗 には、 ――自分自身の命が失われ…

繰り返される“再起不能の失敗”

――再起不能の失敗 とは、 ――自分自身 もしくは、 ――自分以外の誰か の命が失われる失敗のことである―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ――自分自身 の命が失われる失敗は―― ――自分自身 の命は1つだけなので―― 繰り返されることは、まず、…

それは誰の失敗か――

――再起不能の失敗 とは、 ――誰かの命が失われること である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 この場合の、 ――誰か とは、 ――自分自身 もしくは、 ――自分以外の誰か です。 きのうの『道草日記』で―― 僕は、 ――再起不能の失敗と再起可能…

再起不能の失敗と再起可能の失敗と

――日本人は、ただでさえリスクをとりたがらないから、安倍さんが選挙の演説中あんなふうに亡くなってしまったので、今後ますます萎縮してリスクをとらなくなる。 という意見を耳にしました。 たしかに、そうかもしれません。 この意見に僕は概ね同意をします…

こんなことが、あってよいはずがない

安倍晋三さんのご逝去を―― 日本各地で数多くの方々が悼んでいます。 悼むだけではなくて―― 多くの方々が、悲しみ、落ち込み、怒っている―― …… …… 何を隠そう―― 僕自身も、悲しみ、落ち込み、怒りました。 僕は、安倍晋三さんの政治信条に決して共感ができた…

「縁起でもないことをいうな!」というな!

この国では―― 最悪の事態の想定を忌み嫌う風潮が、なかなか消えません。 せっかく最悪の事態が想定をされて―― それを防ぐべく、何かの提言が行われたとしても―― 「縁起でもないことをいうな!」 といわれて―― 一蹴にされるのです。 …… …… 今、確認をしたら――…

取り返しのつかない失敗を恐れよ

おとといの昼前に安倍晋三さんが凶行に遭ったことについて、 ――防がないといけない惨劇だった。 と述べました。 もちろん―― どんな惨劇も防ぎたいところです。 が―― 残念ながら―― すべての惨劇を防ぐことはできません。 世の中には―― 防げる惨劇と防げない惨…

防がないといけない惨劇だった

安倍晋三さんがお亡くなりになりました。 きのうの昼前、参議院選挙の街頭演説の最中に―― 背後から至近距離で銃撃を受け、命を落とされました。 ご本人を含め―― このような惨劇を事前に少しでも思い描けていた人は―― 皆無であったろうと思います。 内閣総理…

“世界政府”がダメなら、“超国家共同体”で、どうであろう

18世紀プロセインの哲学者イマヌエル・カント(Immanuel Kant)は、 ――永遠平和(ewigen Frieden) の実現のためには、 ――世界共和国政府 の樹立が最善であることを認めながら―― ――世界政府は脆い。 ということを理由に、 ――平和連合(foedus pacificum) を…

カントの十分に抑制の効いた主張

18世紀プロセインの哲学者イマヌエル・カント(Immanuel Kant)が、 ――国家は、現代以降、平和連合(foedus pacificum)を作って互いに戦い合わないようになり、やがて永遠平和(ewigen Frieden)が訪れることは、自明である。 と考えたらしい―― ということ…

カントも案外、条件付きの永遠平和を考えていたかもしれない

条件付きの永遠平和なら―― 地球外知的生命体の脅威が地球上の全ての国家で共有をされさえすれば―― すぐにでも訪れるであろう―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ――永遠平和 というのは―― 18世紀プロセインの哲学者イマヌエル・カント(Imm…

条件付きの永遠平和なら――

18世紀プロセインの哲学者イマヌエル・カント(Immanuel Kant)は、 ――太古の昔、個人が国家を作って互いに殺し合わないで済むようになったように、現代以降、国家が平和連合(foedus pacificum)を作って互いに戦い合わないで済むようになることは、自明で…

何が永遠平和の実現に保証を与えているのか

18世紀プロセインの哲学者イマヌエル・カント(Immanuel Kant)は、 ――永遠平和(ewigen Frieden) を、 ――実現の可能性が保証をされている観念 とみなしていたと考えられる―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 では―― 何が、 ――永遠平和 …

永遠平和は虚構的な観念ではない

18世紀プロセインの哲学者イマヌエル・カント(Immanuel Kant)は、 ――永遠平和(ewigen Frieden) それ自体の実現ではなく、 ――永遠平和の近似 の実現を重くみたのではないか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 この見方は―― カントが、 …

永遠平和の近似

18世紀プロセインの哲学者イマヌエル・カント(Immanuel Kant)は、 ――生者にも永遠平和(ewigen Frieden)を―― と考えて―― 齢 70 を過ぎて、あえて、 ――永遠平和のために(Zum Ewigen Frieden) の題名の著作を世に問うたのではないか―― ということを、きの…