この国では――
最悪の事態の想定を忌み嫌う風潮が、なかなか消えません。
せっかく最悪の事態が想定をされて――
それを防ぐべく、何かの提言が行われたとしても――
「縁起でもないことをいうな!」
といわれて――
一蹴にされるのです。
……
……
今、確認をしたら――
僕は、2011年4月27日の『道草日記』でも、同じことを述べていました。
――危機管理の要諦は最悪の事態の想定である。
と――
いかにして最悪の事態を思い描くのか――
あるいは――
いかにして最悪の中の最悪の事態を思い描くか――
それが危機管理の要諦――少なくとも、危機管理の出発点――といえます。
……
……
先週の金曜日の安倍晋三さんの奇禍を思うとき――
僕は声を大にしていいたい――
――「縁起でもないことをいうな!」というな!
と――
……
……
要人の街頭演説では――
いくらでも最悪の事態を思い描けるはずです。
現場で爆発が起き、要人もろとも、数百人の聴衆が殺される――
とか――
要人の警護員に襲撃者が紛れ込み、至近距離で銃撃を受ける――
とか――
そういう“縁起でもないこと”をあえて事前に丹念に思い描くことによって初めて――
それらの防止策を具体的かつ効果的に練り上げていくことが、できるようになるのです。
――縁起でもないことをいうな!
と冷や水を浴びせることで――
それらを事前に思い描く可能性の芽は摘みとられ――
さらには、具体的かつ効果的な防止策の可能性の芽が摘みとられていきます。
今回の安倍晋三さんが遭われた奇禍の現場で――
そのような可能性の芽が摘みとられていたのかどうかは、僕にはわかりません。
が――
そのような可能性の芽が、こうしている今も、この国のどこかで、誰かの、
――縁起でもないことをいうな!
という心ない言葉によって――
次々と摘みとられているのではないか――
そう思います。
もし、誰かが縁起でもないことをいい始めたら、
――縁起でもないことをいうな!
とは、いわないのがよいのです。
その代わりに、
――なぜ、そんなことをいうのか。
と訊くのがよいでしょう。
ひょっとすると――
その誰かは、誰もが見落としていた“最悪の中の最悪の事態”を拾い上げているのかもしれません。