マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧

虫好きの姫は武家の棟梁と出会って、旅立って、どうなるべきであったか

短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、 ――虫愛づる姫君 の主人公・虫好きの姫は、 ――武家の棟梁 と出会い、旅立つべきであった―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 出会って、旅立って―― どうなるべきであったのか―― きのうの『道…

虫好きの姫が経るべきであった出会いや旅立ちとは?

短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、 ――虫愛づる姫君 の主人公・虫好きの姫は―― 古代ギリシャの叙事詩『オデュッセイア』の王女ナウシカアーが経たような、 ――異世界からの訪問者との出会い や、 ――その出会いに続く旅立ち を経ていない―― という…

その直系の継承者が受け継いだこと

短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、 ――虫愛づる姫君 の主人公・虫好きの姫の直系の継承者は―― 漫画およびアニメーション映画『風の谷のナウシカ』の主人公ナウシカである―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ナウシカは――とくに…

虫好きの姫の直系の継承者

短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、 ――虫愛づる姫君 について―― この 300 ~ 1,000 年の間に―― 数多くの作家たちが、 ――自分だったら、どんな物語にするか。 との観点から熟慮熟考を重ね、場合によっては、試行錯誤を繰り返したはずである―― とい…

虫愛づる姫君:自分だったら、どんな物語にするか

短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、 ――虫愛づる姫君 を、きちんと物語として終わらせるには、 ――主人公が非合理的な慣習や通念との共存を図りうる何か新しい発想を弁証法的に示す。 という展開を探っていくことが有望であるが―― その「何か新しい…

虫愛づる姫君:この物語を弁証法的な発想で続けるには?

短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、 ――虫愛づる姫君 の作者は、 ――同時代の慣習や通念に非合理性を見出したときに、人は、どのように対処をするのがよいのか。 という普遍的な問題を完全には扱えていなかったために、 ――この物語の続きを考えてく…

この物語の続きを考えてくれ:「虫愛づる姫君」の作者からの呼びかけ

短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、 ――虫愛づる姫君 は、不完全ながらも、 ――同時代の慣習や通念に非合理性を見出したときに、人は、どのように対処をするのがよいのか。 という普遍的な問題を扱っている―― ということを、きのうの『道草日記』で…

虫愛づる姫君:普遍的な問題を不完全ながらも扱っている

短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、 ――虫愛づる姫君 は、 ――同時代の慣習や通念に非合理性を見出したときに、人は、どのように対処をするのがよいのか。 という問題と、 ――この「虫愛づる姫君」の物語をどのように盛り上げて、どのように終わらせ…

「虫愛づる姫君」が「いかにも古典らしい」といえる2つの理由

短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、 ――虫愛づる姫君 は、 ――人の一生の時間では収まらない問題 という観点から、 ――いかにも古典らしい。 といえることを、きのうの『道草日記』で述べました。 どの点が、 ――いかにも古典らしい。 といえるのか――…

人の一生の時間では収まらない問題

――古典を読む意味 は、 ――人の一生の時間では解けない問題に向き合うため―― であり、 ――古典を書く意味 は、 ――人の一生の時間では解けない問題を世に問うため―― である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 つまり―― 古典を扱う上で鍵とな…

古典を書く意味

――古典を読む意味は、人の一生の時間では解けない問題に向き合うためである。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 では―― その逆は、どうでしょうか。 つまり、 ――古典を書く意味は何か? という疑問です。 ここでいう「古典を書く」とは―― …

古典を読む意味

古典を読む意味は何か―― ときどき話題になりますね。 僕は、 ――人の一生の時間では解けない問題に向き合うため―― と考えています。 人の一生は高々 100 年くらい―― それでも解ける問題――取り組みを十分に終えられる課題――というのは、人の世には数多く存在を…

藤原隆家のこと(30)

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)が姉・定子(ていし)に上等な紙をねだっていたとみてとれる場面が、清少納言の随筆『枕草子』に描かれていることを―― きのうの『道草日記』で述べました。 隆家は、何のために上等な紙をねだったのでしょうか。 …… …… 残念な…

藤原隆家のこと(29)

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)は、自分の従者が叔父・藤原道長(ふじわらのみちなが)の従者を殺めた際に、巧みな事後処理をすることで、叔父・道長の遺恨が及ばないようにしたはずである―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 隆家は―― 後…

藤原隆家のこと(28)

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)が刃傷沙汰を起こしたのは―― 花山(かざん)法皇(ほうおう)へ矢を射かけさせたときだけではありません。 その前年に―― 叔父・藤原道長(ふじわらのみちなが)の従者を殺させています。 隆家の従者らと叔父・道長の従者らと…

藤原隆家のこと(27)

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)と花山(かざん)法皇(ほうおう)との間に、ある種の信頼関係があったであろうことは―― 隆家が自分の従者に花山法皇へ矢を射かけさせたことの理由を考える上で、無視はできない―― ということを、きのうの『道草日記』で述べ…

藤原隆家のこと(26)

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)は、なぜ自分の従者に命じて花山(かざん)法皇(ほうおう)へ矢を射かけさせたのか―― この隆家の行為を―― きのうの『道草日記』では、 ――とんでもなく危険で、かつ実利に乏しい行為 とか、 ――バカげた博打 とかと述べました…

藤原隆家のこと(25)

藤原氏の摂関政治の全盛期を築いたのは、一般的には、道長(みちなが)・頼通(よりみち)の二人であるといわれていますが―― 実は、道長・隆家(たかいえ)の二人ではなかったか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 それくらいに―― 僕は、…

藤原隆家のこと(24)

――藤原氏の摂関政治は道長(みちなが)・頼通(よりみち)のときに全盛期を迎えた。 と日本史の教科書の類いには記されています。 ここでいう、 ――道長 とは、 ――藤原道長(ふじわらのみちなが) のことで、 ――頼通 とは、 ――藤原頼通(ふじわらのよりみち)…

藤原隆家のこと(23)

藤原道長(ふじわらのみちなが)が政権の首班の資質を第一に考えていたことは、論をまたないであろう―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 では―― 藤原隆家(ふじわらのたかいえ)が骨肉の政争の予防を第一に考えていたことは、どうでしょう…

藤原隆家のこと(22)

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)は、骨肉の政争の予防を第一に考え―― 藤原道長(ふじわらのみちなが)は、政権の首班の資質を第一に考えていたのではないか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 道長が政権の首班の資質を第一に考えていたこ…

藤原隆家のこと(21)

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)と、その叔父・藤原道長(ふじわらのみちなが)との相剋の根源にあったのは、 ――政権の首班は、形式的に選ぶのがよいのか、実質的に選ぶのがよいのか。 との問題意識ではなかったか―― ということを、きのうの『道草日記』で述…

藤原隆家のこと(20)

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)と、その叔父・藤原道長(ふじわらのみちなが)とでは、 ――政権の首班は、どのように選ぶのがよいのか。 という問いに対する答えが、決定的に違っていたのではないか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 隆…

藤原隆家のこと(19)

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)と、その叔父・藤原道長(ふじわらのみちなが)とは、生まれ育った境遇が似ている―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 類似点があれば、相違点もあります。 すぐに思いつく相違点は年齢です。 隆家と道長と…

藤原隆家のこと(18)

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)が、叔父・藤原道長(ふじわらのみちなが)に招かれた宴席で、にわかに怒りだしてみせたのは―― 叔父・道長が、自分の今後の処遇をどのように考えているのかについて、探りを入れるためではなかったか―― ということを―― きのう…

藤原隆家のこと(17)

平安中期の公卿・藤原隆家(ふじわらのたかいえ)が、叔父・藤原道長(ふじわらのみちなが)の自邸で催された酒宴に招かれた際に―― 隆家が、叔父・道長の前で、急に怒りだし、その後すぐに機嫌を直したのは―― 叔父・道長の真意を推し量る意図があったのでは…

藤原隆家のこと(16)

平安中期の公卿・藤原隆家(ふじわらのたかいえ)について―― 叔父・藤原道長(ふじわらのみちなが)が自邸で催した酒宴に急きょ招かれた際にみせた“高慢で狭量”な振る舞いと―― その 15 ~ 16 年後に刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)の難局において自ら国防…

藤原隆家のこと(15)

平安中期の公卿・藤原隆家(ふじわらのたかいえ)について、僕が最初に強く意識をしたのは―― 高校の古文の授業でした。 ――道長と隆家 と題された教材の古文です。 歴史物語『大鏡』の一節です。 この一節で―― 藤原道長(ふじわらのみちなが)が甥・隆家を自…

藤原隆家のこと(14)

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)は、 ――刀伊(とい)の入寇(にゅうこう) を経て、京の都へ帰って来た後―― 一部から右大臣などの高官へ推す声があったにもかかわらず―― 宮廷への出仕を控え続けたために―― 結局は政権の中枢へ入ることはありませんでした。 …

藤原隆家のこと(13)

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)は、大宰権帥(だざいごんのそち)として、 ――刀伊(とい)の入寇(にゅうこう) の難局を切り抜けた後―― 自身の指揮下で戦った貴族や豪族たちが恩賞を授かれるように、政権の中枢と折衝を重ねたけれども―― 自分自身は恩賞を…