平安中期の公卿・藤原隆家(ふじわらのたかいえ)について――
叔父・藤原道長(ふじわらのみちなが)が自邸で催した酒宴に急きょ招かれた際にみせた“高慢で狭量”な振る舞いと――
その 15 ~ 16 年後に刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)の難局において自ら国防の最前線へ出向いた“冷静な果断さ”とが――
容易には結びつかなかった――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
(いったい、この間に何があったんだ?)
と不思議に思い、強い関心をもった――
ということですね。
……
……
今日、
――藤原隆家
といえば、
――刀伊の入寇
の観点で語られることが殆どです。
――藤原道長の政敵・藤原伊周(ふじわらのこれちか)の同腹の弟
の観点から語られることは多くはありません。
たしかに、
――藤原隆家
は、
――刀伊の入寇
の観点で理解をするほうが円滑です。
――若い頃は、だいぶヤンチャな人だったんだ。
で済ませられる――
が――
逆は難しい――
不祥事を起こして左遷をされたことで政権の中枢から遠ざかり、自邸に閉じこもってばかりいたところを――
叔父とはいえ、ときの権力者である藤原道長から直々に誘われて酒宴への途中参加を許されて――
すぐには酒席になじめない様子を察した他の参加者が気を遣って服の紐を解こうとしたところ、
――気安く触るな。
と怒りだして場を白けさせてしまったので――
叔父・道長が気を遣って、
――では、私が紐を解こう。
といって実際に服の紐を解いてやると――
すっかり機嫌を直して酒宴を楽しみ始めた――
ここでの隆家の振る舞いは、たしかに高慢で狭量に感じられます。
一方の道長の振る舞いは、謙虚で寛大です。
こんな“高慢で狭量”の人物が――
後年、異国からの来襲を受け、九州の貴族や豪族たちをまとめあげて外敵に立ち向かう姿は、ちょっと想像がつきません。
つまり――
隆家は、おそらく生来――
そんなに高慢でも狭量でもなかったのです。
むしろ――
叔父・道長と同じように謙虚で寛大であった――
その点は叔父・道長にも十分に見込まれていた――
そのように考えるのが自然です。
では――
隆家は、あの酒宴の席で、なぜ、
――気安く触るな。
と怒りだしたのでしょうか。
……
……
手がかりは――
叔父・道長が服の紐を解くと、コロっと機嫌を直している点です。
人は、本当に怒りだしたら――
そんなに急には機嫌を直せません。
コロっと上機嫌になったところをみると――
隆家は本気では怒っていなかったでしょう。
怒っているふりをした――
何のためか――
……
……
おそらく――
叔父・道長の真意を推し量るためです。
この続きは、あす――