マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「精神疾患」「精神障害」

 精神医学では、

 ――疾患

 の概念が未確立である。

 

 よって、

 ――精神の病気

 を、

 ――精神疾患

 と呼ぶのは――

 厳密には誤りだ。

 

 ……

 

 ……

 

 こう述べると、

 ――そんな莫迦な。

 と誹りを受けることがある。

 

 なるほど――

 たしかに――

 いかなる、

 ――精神の病気

 にも原因はあろう。

 

 ただ人が知らぬだけである。

 

 未知であるにせよ、原因は存在はしている――

 

 よって――

 その未知の原因が引き起こしているであろう症候群を、

 ――精神疾患

 と呼ぶのは、特に差し支えぬのではない。

 

 ……

 

 ……

 

 その通りである。

 

 その懸念が十分に認識をされた上でなら、

 ――精神疾患

 との呼称が用いられてもよい。

 

 が――

 そうした懸念を忘れぬようにするために――

 あえて、

 ――精神疾患

 を用いぬ立場もある。

 

 その立場では、

 ――精神障害

 を用いる。

 

 ……

 

 ……

 

 ――精神障害

 

 実は――

 これも厳密には誤りだ。

 

 たしかに――

 21世紀序盤の現代では、

 ――精神の病気

 の殆どが完治をせぬ。

 

 何らかの症状・徴候が遺残をする。

 

 よって――

 ――精神の病気

 が、

 ――精神障害

 と呼ばれることに――

 特に不自然はない。

 

 が――

 

 今日、

 ――精神の病気

 の症状・徴候が、部分的ではあるにせよ、遺残をするのは――

 今日の精神医療の治療の技術が十分に発達をしていないからである。

 

 将来――

 治療の技術が十分に発達をしていけば――

 症状・徴候が遺残をすることはなくなろう。

 

 そうなれば、

 ――精神の病気

 を、

 ――精神障害

 と呼ぶことも――

 不自然となる。

 

 そうした懸念が十分に認識をされた上でなら、

 ――精神障害

 との呼称が用いられてもよい。

 

 『随に――』

精神医学では“疾患”の概念が未確立である

 ――精神の異常

 の原因は――

 21世紀序盤の現代――

 殆ど特定をされていない。

 

 つまり――

 人は、

 ――精神の異常

 と、

 ――精神の正常

 との違いを――

 未だ精確には見分けられずにいる。

 

 一見、

 ――異常

 だが――

 実は、

 ――正常

 であり――

 

 一見、

 ――正常

 だが――

 実は、

 ――異常

 であり――

 

 ……

 

 ……

 

 そういう事例が――

 実地の精神医療では――

 枚挙に暇がない。

 

 ……

 

 ……

 

 この真実は――

 21世紀序盤の現代において――

 ――精神の異常

 に関し、

 ――疾患

 の概念が未確立であることを示している。

 

 どういうことか――

 

 ……

 

 ……

 

 ――精神の異常

 に限らず――

 およそ、

 ――心身の異常

 は――

 少なくとも一次的には、

 ――症状・徴候

 として記述をされる。

 

 ――症状

 とは、

 ――患者が自分自身で感じ取る異常

 であり、

 ――徴候

 とは、

 ――医療従事者を含む患者の周囲にいる者たちが感じ取る異常

 である。

 

 これら“異常”は――

 大抵は集合で現れる。

 

 その集合を、

 ――症候群

 と呼ぶ。

 

 そして――

 その、

 ――症候群

 が、なぜ集合として現れるのか――

 その原因が特定をされる時、

 ――疾患

 の概念が確立をされることになる。

 

 が――

 

 残念ながら――

 現代の精神医学は――

 この段階まで到達をしていない。

 

 ――症候群

 の概念の確立の前段階に留(とど)まっている。

 

 実は――

 

 ――症候群

 の概念の確立さえ――

 まだ覚束ぬのだ。

 

 『随に――』

脳の機能の僅かな欠損や減弱が“精神の異常”の原因であろう。が――

 精神医学の核心は、

 ――精神の異常

 を知ることにはない。

 

 ――精神の異常と正常との境界

 を見極めることにある。

 

 ――正常

 が判らねば、

 ――異常

 は判らぬ。

 

 その意味で――

 精神医学の核心は、

 ――精神の異常

 ではなく、むしろ、

 ――精神の正常

 を判ることにある――

 といっても過言ではない。

 

 ――異常

 を知り――

 それと、

 ――正常

 との比較を試みることで――

 

 初めて、

 ――異常

 が判る。

 

 その最も鮮烈な判り方が、

 ――異常の原因の特定

 だ。

 

 その原因の存在が――

 認められれば、

 ――異常

 であり――

 認められなければ、

 ――正常

 である。

 

 ところが――

 

 ……

 

 ……

 

 ――精神の異常

 の原因は――

 21世紀序盤の現代――

 殆ど特定をされていない。

 

 おそらくは――

 脳の機能の僅かな欠損ないし減弱が原因である。

 

 が――

 

 具体的に――

 脳の機能の――

 何が欠損をしていて――

 何が減弱をしているのか――

 

 それは――

 未知である。

 

 現代の科学技術では――

 それら欠損や減弱の検知は不可能と目されている。

 

 脳の素子と考えられている神経細胞(neuron)は――

 その数、約 1,000 億――

 

 それら一つひとつの神経細胞が、数百ないし数千の他の神経細胞と接点を持ち――

 それらの相互作用が統制をされた様子が、脳の機能の全容と考えられる。

 

 それらの相互作用の全てを即時かつ同時に追いかけることで、ようやく――

 人は、

 ――精神の異常

 の原因の手がかりを得るであろう。

 

 その追跡には――

 膨大かつ高速の情報処理が求められる。

 

 そのような情報処理を成し遂げるには――

 現代の科学技術は――

 あまりにも貧弱であり、粗雑である。

 

 『随に――』

精神医学の核心

 精神医学は、

 ――些細にして深遠――

 である。

 

 目の前の患者が抱える問題に――

 いかに向き合うか――

 

 その問題の背景に、

 ――心の病(やまい

 があるのか否か――

 

 あるのなら――

 それは、どんな病か――

 

 癒え易い病か――

 癒え難い病か――

 

 いかにして癒していけば、よいか――

 

 ……

 

 ……

 

 そのような問いに答える準備をする――

 

 それが――

 精神医学の第一の目的である。

 

 が――

 この目的だけに係(かか)っていては――

 進歩はない。

 

 その目的を十分に果たしていくには――

 まずは、

 ――心の病

 について、深く、広く知っておかねばならぬ。

 

 何をもって、

 ――心の病

 とするか――

 

 病める心と病めざる心との間に――

 いかに区別を付けていくか――

 

 そもそも――

 心は、なぜ病むのか――

 

 ――心が病む

 とは――

 つまり、どういうことか――

 

 それが判れば、

 ――心の病

 の癒し方は――

 自ずと判るはずである。

 

 ……

 

 ……

 

 ――心の病

 の原因を知るには――

 その病に固有の、

 ――異常

 を知る必要がある。

 

 ――精神の異常

 である。

 

 そして――

 それを知るには――

 それが起こる前――

 つまり、

 ――精神の正常

 を判っておく必要がある。

 

 ……

 

 ……

 

 時に、

 ――“精神の異常”を知ることが精神医学の核心だ。

 と、いわれる。

 

 誤りである。

 

 たしかに、“精神の異常”を知ることは必要だ。

 

 が――

 それと同じくらい、“精神の正常”を知ることも必要である。

 

 そもそも、

 ――精神が正常――

 とは、どういうことか――

 

 ――正常

 である精神には――

 どんな利点があるのか――

 

 ――精神

 が、個の生存や種の存続に果たす役割とは何か――

 

 ……

 

 ……

 

 その問いは――

 もはや心理学や脳科学の領域に達している――

 と、いってよい。

 

 精神医学の核心は――

 むしろ、こちらにある。

 

 ゆえに――

 精神医学は、

 ――些細にして深遠――

 なのである。

 

 『随に――』

精神医学は「些細にして深遠――」である

 精神医学は――

 人々の自然観や社会観――

 あるいは、世界観や人生観を――

 根底から覆すような学問ではない。

 

 その意味で――

 精神医学は、

 ――些細な学問

 である。

 

 が――

 精神医学は、心理学に隣接をしていて――

 それを介して脳科学や計算機科学(computer science)の近隣にもある。

 

 これらの学問は、いずれも、

 ――些細な学問

 ではない。

 

 人々の自然観や社会観――

 あるいは、世界観や人生観を――

 根底から覆しうる学問である。

 

 その意味で――

 精神医学は、見過ごし難い可能性を秘めている。

 

 ――精神の病気

 と向き合い――

 その“異常”を“正常”と照らし合わせることで、

 ――精神の意義

 に関する新たな洞察を齎(もたら)しうる。

 

 その洞察が――

 心理学や脳科学、計算機科学にブレイクスルー(breakthrough)を齎しうる。

 

 つまり――

 精神医学は、

 ――些細にして深遠――

 である。

 

 『随に――』

精神医学は「些細な学問」である

 精神医学は実学である。

 

 ――精神の病気

 への対応を論じる。

 

 何を以て、

 ――心の病(やまい

 とするのか――

 あるいは、

 ――心の病

 としないのか――

 

 ――心の病

 は一種類なのか――

 あるいは、何種類もあるのか――

 

 何種類もあるのなら――

 それらをいかに分け、区別をするのか――

 

 あるいは、

 ――心の病

 は癒えるのか――

 

 癒えるのなら――

 どうすれば癒えるのか――

 

 あるいは――

 どうすれば癒え易くなるのか――

 どうすれば癒え難くなるのか――

 

 そうしたことを論じる。

 

 よって――

 

 精神医学は――

 今、現に、

 ――心の病

 を患っている者――

 あるいは、患っている者の世話をしている者――

 には、直接に利益を齎(もたら)しうるが――

 

 そうではない者にとっては――

 直接の利益を齎しはせぬ。

 

 例えば――

 一般的な知的好奇心を呼び覚まし易い学問ではない。

 

 あるいは――

 人々の自然観や社会観――

 あるいは、世界観や人生観を――

 根底から覆すような学問ではない。

 

 誤解を恐れずにいえば――

 

 精神医学は、

 ――些細な学問

 である。

 

 『随に――』

精神医学は実学――

 心理学は、

 ――心理の本態

 に関心を寄せる者たちの、

 ――中心(hub)

 である。

 

 このため――

 しばしば、

 ――精神医学

 は、

 ――心理学

 と混同をされる。

 

 心理学で、

 ――心理の本態

 を探る営みは――

 精神医学で、

 ――精神の意義

 を探る営みと、ほぼ同義だからである。

 

 それらの相違に敏感なのは――

 精神医療の従事者くらいではないか。

 

 ……

 

 ……

 

 精神医学は実学――

 である。

 

 ――実学

 とは、

 ――実用の学問

 だ。

 

 ――社会へ直接の利益を齎(もたら)しやすい学問

 である。

 

 あるいは、

 ――社会へ直接の利益を齎さぬことが許されない学問

 と、いってもよい。

 

 例えば――

 法学は実学――

 である。

 

 法の解釈などを論じる。

 

 その際――

 研究の対象となるのは――

 実在をする社会で実際に制定をされている――あるいは、実際に制定をされていた――法である。

 

 通常――

 架空の社会の法の解釈が論じられることはない。

 

 あるいは――

 人類史上、未だ制定をされたことはないが、近い将来あるいは遠い将来に制定をされるかもしれぬ法の解釈や――

 人類社会において、いずれは制定をされることが望ましい法の解釈が――

 論じられることもない。

 

 精神医学も同様である。

 

 ――精神の病気

 への対応の方法を論じる。

 

 通常――

 実在をしない、

 ――精神の病気

 が研究の対象となることはない。

 

 あるいは――

 現在は確認をされていないが、将来、発病が確認されるであろう未知の、

 ――精神の病気

 が研究の対象となることもない。

 

 『随に――』

心理学は観察に徹するしかないのか(18)

 ――心理学は観察に徹するしかないのか。

 と問われれば――

 

 ――徹するしかない。

 と答えるのが正論であろう。

 

 それは――

 原理的に、どうしても避けられぬことだ。

 

 ――心理の本態

 に対しては――

 直接の実験はできぬ。

 

 観察しかできぬ。

 

 が――

 

 ……

 

 ……

 

 観察に徹さなければならぬのは、

 ――心理学

 であって、

 ――心理学者

 ではない。

 

 心理学者は――

 心理学と境界を接している他の様々な領域へ――

 横断をすればよい。

 

 精神医学――

 脳科学――

 計算機科学(computer science)――

 文学――

 

 他にも――

 まだ多くの領域が心理学に隣接をしていよう。

 

 このことは――

 心理学者だけにいえることではない。

 

 ――心理の本態

 に関心を持つ全ての者にいえることだ。

 

 ――心理の本態

 に関心を持つ者は――

 一旦は、心理学に拠点を構え――

 その後、心理学に隣接をする他の領域――精神医学や脳科学、計算機科学、文学など――へ横断をするのがよい。

 

 例えば――

 精神医学を修めている者は――

 一旦、心理学の領域に入り――

 その後、脳科学や計算機科学、文学などへ横断をする――

 

 その意味で――

 心理学は、

 ――心理の本態

 に関心を寄せる者たちの、

 ――中心(hub)

 である。

 

 『随に――』

心理学は観察に徹するしかないのか(17)

 ――心理学

 の領域から、

 ――文学

 の領域へと横断を試みる際には――

 

 ――文芸

 に留意を要する。

 

 ――文学

 の研究の対象としての、

 ――文芸

 だ。

 

 その、

 ――文芸

 において、

 ――心理の異常

 が、しばしば、

 ――心理学

 や、

 ――精神医学

 の知見を全く踏まえることなく――

 主題として、扱われていることに――

 留意を要する。

 

 このことを知らなければ、

 ――文学

 への横断は、

 ――心理学

 へ曲解を齎す。

 

 が――

 このことをよく知っていれば――

 

 ――文学

 は、

 ――心理学

 に、新たな着眼点を齎(もたら)し得る。

 

 ――文芸

 とは――

 作家が、自身の思考によって、

 ――心理の本態

 を作品の中に疑似的に創り上げる営み――

 と、みなせるからである。

 

 21世紀序盤の現代――

 計算機科学(computer science)が、

 ――心理の本態

 を電算機(computer)の内部に疑似的に創り上げようとするのと似たような試みを――

 ――文芸

 は、何千年も前から試みていた――

 

 ただし――

 

 ――文芸

 の作品には、作家による虚構や修辞の要素が数多く含まれる。

 

 それらは――

 多くの場合、

 ――心理の本態

 に霞をかける。

 

 それら不確実性要素は――

 慎重に取り除かねばならぬ。

 

 ――心理学

 から、

 ――文学

 への横断は――

 ある種の危険が伴う。

 

 『随に――』

心理学は観察に徹するしかないのか(16)

 ――文芸

 の言語によって尤(もっと)もらしく描かれる心理が――

 実は、

 ――心理の本態

 の実相からは程遠かった――

 ということは、いくらでも起こりうる。

 

 そうした懸念に、

 ――心理学

 は、むろん、

 ――文学

 も、格段の留意が必要であろう。

 

 例えば、

 ――文芸

 の作品で、何らかの異常の心理が描写をされている時に――

 その作品を対象とする、

 ――文学

 の研究では、

 ――心理学

 は、むろん、

 ――精神医学

 にも、一定の参照が望ましい。

 

 異常の心理は、

 ――心理学

 だけでなく、

 ――精神医学

 でも――

 広く、深く、取り扱われているからである。

 

 とりわけ、

 ――自殺企図

 の心理は、

 ――精神医学

 を外しては語れまい。

 

 ――自殺企図

 とは、

 ――何となく「死んでしまいたい」と感じること

 とは異なり、

 ――明確に自殺を企てようと何らかの行動に出ること

 である。

 

 ――文芸

 では――

 しばしば作品の主題の一つとして、

 ――自殺企図

 が取り扱われる。

 

 この、

 ――自殺企図

 について、

 ――心理学

 は、むろん、

 ――精神医学

 にも全く参照をしなければ――

 おそらく、

 ――心理の本態

 を見誤る。

 

 その誤謬は、

 ――文学

 の領域に留まって――

 作品の主題を論じるだけであれば露呈はしないが――

 

 そのような論考は――

 現実から遊離をしていると感じられる。

 

 少なくとも、

 ――心理学

 や、

 ――精神医学

 の知見を踏まえる者にとっては――

 そうである。

 

 『随に――』