マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

2024-02-01から1ヶ月間の記事一覧

思考の視野(1)

織田(おだ)信長(のぶなが)は、 ――愚鈍 ではなかったが、 ――非常識 ではあった。 ――非常識 がゆえに―― 見方によっては、 ――愚鈍 にみえた。 ――愚鈍 ではないが、 ――愚鈍 にみえはする―― それは―― おそらく、 ――思考の視野 の性質による。 …… …… ――思考の…

戦国のうつけ

織田(おだ)信長(のぶなが)の生涯は、本能寺(ほんのうじ)に詰まっている。 その最期の本能寺を取り巻く状況をみれば―― 信長の生涯がわかる。 信長は、 ――乱世の奸雄(かんゆう) ではあるかもしれぬ。 が、 ――治世の能臣(のうしん) ではない。 ――治世…

本能寺(13)

本能寺(ほんのうじ)の変で、相応に重い役回りを演じた部将・斎藤(さいとう)利光(としみつ)の運命は―― にわかには信じ難いほどに数奇である。 主・明智(あけち)光秀(みつひで)は、織田(おだ)信長(のぶなが)を首尾よく討った後―― 中国からの大返…

本能寺(12)

本能寺(ほんのうじ)を囲んだ明智(あけち)勢の先鋒が、斎藤(さいとう)利三(としみつ)であったことは―― すでに触れた。 この利三が、本能寺の変で、「黒幕」とはいえないまでも、それなりに重要な役割を果たしていたらしいことが―― 近年、示されている…

本能寺(11)

明智(あけち)光秀(みつひで)が、本能寺(ほんのうじ)で織田(おだ)信長(のぶなが)を討ったのは、 ――我が主、天下人の器にあらず。 の義憤に基づく直観による―― と見做(な)すと―― その後の、 ――三日天下 が、よくわかる。 この「三日天下」の「三日…

本能寺(10)

――本能寺(ほんのうじ)の変の謎 といえば―― ――明智(あけち)光秀(みつひで)の動機 が、よく取り沙汰される。 ――日本史上、最大の謎 ともいわれる。 が―― 果たして、そうか。 …… …… あの夜―― 光秀が為したことは、 ――下剋上 である。 特に珍しくはない。 …

本能寺(9)

本能寺(ほんのうじ)の変には―― もう一つ触れるべき謎がある。 それは―― ――なぜ織田(おだ)信忠(のぶただ)は脱出を試みなかったのか。 …… …… 明智(あけち)勢の先鋒が本能寺を囲んだ時―― 父・織田信長(のぶなが)には、おそらく、万に一つも脱出の可能…

本能寺(8)

本能寺(ほんのうじ)の変の折―― 明智(あけち)勢の先鋒が討ち入った際に―― 織田(おだ)信長(のぶなが)と、その小姓・森(もり)成利(なりとし)との間で交わされた会話が―― 以下のようであったとすると―― 「こは謀反(むほん)か。いかなる者の企てぞ…

本能寺(7)

織田(おだ)信長(のぶなが)が―― 本能寺(ほんのうじ)の変の前夜―― 嫡子・織田信忠(のぶただ)から受けていたかもしれない諫め事は2つ―― 軍の最高指揮権に関わることと―― 朝廷が司っていた暦(こよみ)に関わることと―― …… …… いったい、どちらの諫め事…

本能寺(6)

織田(おだ)信長(のぶなが)が―― 本能寺(ほんのうじ)の変の前夜―― 嫡子・織田信忠(のぶただ)から受けていたかもしれない諫め事には、2つあった。 1つは、軍の最高指揮権に関わることである。 そして―― もう1つは―― …… …… 朝廷が司っていた暦(こよ…

本能寺(5)

織田(おだ)信長(のぶなが)が―― 本能寺(ほんのうじ)の変の前夜―― 嫡子・織田信忠(のぶただ)から受けていたかもしれない諫め事には2つ―― 1つは、軍の最高指揮権に関わることである。 信長は、織田家の家督を信忠に譲った頃から―― 織田軍の最高指揮権…

本能寺(4)

織田(おだ)信長(のぶなが)は―― 本能寺(ほんのうじ)で討たれる前夜―― 嫡子・織田信忠(のぶただ)と何を話したのか。 …… …… 真相はわからぬ。 酒を酌み交わしたようであるから―― 当たり障りのない話に終始をしたかもしれぬ。 が―― このとき―― 親子は居…

本能寺(3)

織田(おだ)信長(のぶなが)と、その小姓・森(もり)成利(なりとし)とが、本能寺(ほんのうじ)で交わしたとされる会話には―― 異説が伝わる。 それによれば―― 信長は、寄せ手の来襲を察したとき―― 次のように問うた。 ――城之介(じょうのすけ)が別心(…

本能寺(2)

織田(おだ)信長(のぶなが)は―― 本能寺(ほんのうじ)で明智(あけち)光秀(みつひで)の急襲を受けたとき―― 最初は、雑兵らの喧嘩と思ったらしい。 信長だけではない。 近習の筆頭で仕えていた森(もり)成利(なりとし)も―― そう思ったという。 成利…

本能寺(1)

人の生涯を顧みるには―― その最期に着目をすればよい。 例えば、 ――織田(おだ)信長(のぶなが) の生涯を顧みるには―― ――本能寺(ほんのうじ)の変 に着目をする。 天正10年(1582年)6月2日、未明―― 信長の重臣の一人であった明智(あけち)光秀(みつひ…

治世の信長

16世紀の日本を生きた織田(おだ)信長(のぶなが)は―― 2世紀から3世紀の中国を生きた曹操(そうそう)と同様、 ――治世の能臣(のうしん)、乱世の奸雄(かんゆう) といえるのか。 …… …… 曹操との共通点――能力主義の人材登用、若年期の放蕩性癖、乱世終息…

曹操と信長と

日本に―― 中国・三国時代の魏(ぎ)の曹操(そうそう)が如き人物を求めるならば―― ――織田(おだ)信長(のぶなが) であろう。 16世紀を生きた。 …… …… 曹操と信長と―― いくつか共通点がある。 一つは―― 人を能力のみで測り、用いたこと―― たとえ自身を一度…

曹操の才知

――後漢の魏王(ぎおう) こと―― 中国・三国時代の魏(ぎ)の曹操(そうそう)は―― 詩人でもあった。 ――楽府(がふ) の詩作が得意だったと伝わる。 音楽に合わせて唄う詩である。 戦乱に明け暮れていた時代―― 陣中にあっても詩作に励んだという。 戦績が不甲…

奸雄と能臣と

――乱世 を収めるには―― 莫大なエネルギーをほんの一時、用いて武力の偏在を造ればよく―― ――治世 を保つには―― 莫大なエネルギーを用い続けて武力の偏在を保たねばならぬ。 武力の偏在を造るのは易しく―― 武力の偏在を保つのは難しい。 よって―― 武力の偏在の…

周の文王となろう

中国・三国時代―― 魏(ぎ)の曹操(そうそう)は、自身を、 ――周(しゅう)の文王(ぶんのう) に準(なぞら)えた―― と伝わる。 紀元前11世紀―― 王朝が殷(いん)から周へと変わった。 が―― 周の始祖である文王は―― 殷の王に対し、最後まで臣下の礼を崩さず…

治世の能臣、乱世の奸雄

――治世 ――乱世 の二語を並べると―― ――魏(ぎ)の武帝(ぶてい) を思い浮かべる向きもあろう。 一般には―― 中国・三国時代、 ――魏の曹操(そうそう) として知られる。 紀元2世紀から3世紀を生きた。 おそらくは無名だった十代の頃―― 人物批評家として名高っ…

治世・乱世の熱力学

――治世 を保つのは難しい。 が、 ――乱世 を収めるのは易しい。 少なくとも、 ――治世 を保つよりは易しい。 …… …… ――乱世 を収めるには―― 戦乱が起きぬようにすればよい。 それには―― 誰か一人――あるいは、何処(いずこ)か一方――が頭抜けた武力を握る―― 方法…

戦乱

――乱世 を、 ――戦乱に明け暮れている世の中 とし、 ――治世 を、 ――戦乱に明け暮れているわけではない世の中 とすると―― ――治世か否か。 は―― 世の中が太平か否かとは無縁―― 太平であろうと、なかろうと―― 戦乱が少なければ、 ――治世 で―― 戦乱が多ければ、 ―…

治世、乱世

――治世 を、 ――太平に治まっている世の中 とし、 ――乱世 を、 ――戦乱に明け暮れている世の中 として―― はたして、よいか。 ――幸せ の定義が難しいように―― また、 ――治世 の定義も難しいのではないか。 …… …… されば―― ――不幸せ を、 ――波に抗い続けて疲れ果…

この世は今――

この国の今を指して、 ――治世か乱世か。 と問えば―― 殆どの人は、 ――治世 と答えるだろう。 ――治世 とは、 ――太平に治まっている世の中 で、 ――乱世 とは、 ――戦乱に明け暮れている世の中 だ。 たしかに―― この国の今は、 ――治世 といえる。 が―― この国の外…

禍福

――禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如し。 という。 原典は、中国の正史『史記』に求められるそうだ。 その『史記』の成立は、前漢の頃――紀元前2世紀から紀元前1世紀までの頃――というから―― かなり古い。 人の世の在り様は、この 2,000 ~ 3,000 年の間…

不幸せ

――幸せ の概念は―― 実は、定義不能ではないか―― 定義可能なのは、 ――不幸せ の概念だけではないか―― そう思う。 つまり、 ――幸せ とは、単に、 ――不幸せでない というだけのこと―― …… …… それならば―― ――不幸せ の定義は、どうするか。 …… …… ――幸せ とは、 …

幸せ

人生の要点は、 ――随(まにま)に―― の是非にしかないのではないか―― と疑っている。 人は自分が何らかの意思をもって生きていると思っているが―― それは誤解であり―― 実は、大した意思をもっていない―― もっているのは、せいぜい、 ――成り行き に任せるか否…