織田(おだ)信長(のぶなが)は――
本能寺(ほんのうじ)で討たれる前夜――
……
……
真相はわからぬ。
酒を酌み交わしたようであるから――
当たり障りのない話に終始をしたかもしれぬ。
が――
このとき――
親子は居を共にしていない。
その7年ほど前――
そのまま織田領の本拠・岐阜に留まる一方――
信長は、その後、安土へ居を移していた。
よって――
本能寺は、貴重な対面の場であったはずで――
必ずや重大な密議がなされている。
とはいえ――
かかる密議に相席を許された者がいるはずはなく――
親子が差しで何を話したかは伝わりようがない。
まして――
その数刻後に――
親子は、どちらも敗死をした。
当人たちの片方ないし両方が、
――あの折は――
と後日譚を口にしたことはない。
その上で――
重ねて問う。
親子は何を話したのか。
……
……
このとき――
織田家は中国・四国攻めに臨んでいた。
その僅か3か月ほど前に――
甲斐(かい)の武田(たけだ)家を滅ぼしたばかりであった。
この征伐は信忠が主導をしたと考えられる。
総大将を務めたのは信忠であって、信長ではなかった。
甲斐攻めの上首尾により――
信忠は後継の自信を深めたはずだ。
その余勢を駆って――
何か深刻な諫言を父へ向けたのではあるまいか。
……
……
考えられる諫め事は2つ――
それぞれ軍事と政治とに関わることである。
『随に――』