マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

本能寺(4)

 織田(おだ)信長(のぶなが)は――

 本能寺(ほんのうじ)で討たれる前夜――

 嫡子・織田信忠のぶただ)と何を話したのか。

 

 ……

 

 ……

 

 真相はわからぬ。

 

 酒を酌み交わしたようであるから――

 当たり障りのない話に終始をしたかもしれぬ。

 

 が――

 このとき――

 親子は居を共にしていない。

 

 その7年ほど前――

 信忠は、織田家家督を信長から譲られ――

 そのまま織田領の本拠・岐阜に留まる一方――

 

 信長は、その後、安土へ居を移していた。

 

 よって――

 本能寺は、貴重な対面の場であったはずで――

 必ずや重大な密議がなされている。

 

 とはいえ――

 かかる密議に相席を許された者がいるはずはなく――

 

 親子が差しで何を話したかは伝わりようがない。

 

 まして――

 その数刻後に――

 親子は、どちらも敗死をした。

 

 当人たちの片方ないし両方が、

 ――あの折は――

 と後日譚を口にしたことはない。

 

 その上で――

 重ねて問う。

 

 親子は何を話したのか。

 

 ……

 

 ……

 

 このとき――

 織田家は中国・四国攻めに臨んでいた。

 

 その僅か3か月ほど前に――

 甲斐(かい)の武田(たけだ)家を滅ぼしたばかりであった。

 

 この征伐は信忠が主導をしたと考えられる。

 総大将を務めたのは信忠であって、信長ではなかった。

 

 甲斐攻めの上首尾により――

 信忠は後継の自信を深めたはずだ。

 

 その余勢を駆って――

 何か深刻な諫言を父へ向けたのではあるまいか。

 

 ……

 

 ……

 

 考えられる諫め事は2つ――

 

 それぞれ軍事と政治とに関わることである。

 

 『随に――』