マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

2021-01-01から1年間の記事一覧

“病的な体験”への対症療法が自然治癒を不完全ながらも促している

――“病的な体験”の自然治癒の過程は深刻な危険性を孕(はら)んでいる。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 その危険性とは、 ――新たな接続 の代替や、 ――誤っていない接続 の強化が、脳を含む神経系の働きを、かえって酷く乱しかねない―― と…

“病的な体験”の自然治癒の過程に潜む危険性

――“病的な体験”の自然治癒は、神経細胞どうしの“新たな接続”が生じたり、あるいは、“誤っていない接続”が強化をされたりすることによって、神経細胞どうしの“誤った接続”による悪影響が徐々に薄れていく、という過程をたどるのではないか。 ということを、き…

“病的な体験”は永続をすることが多いので……

――“病的な体験”の自然治癒では、望ましい機序(mechanism)ではなく、あまり望ましくない機序が中心になっているのではないか。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 具体的には―― 神経細胞どうしの、 ――誤った接続の切断 や、 ――誤った接続の…

“病的な体験”の自然治癒の機序は?

――“病的な体験”の治療は、それを無くすことが目標ではなく、その原因と考えられる“神経単位(neuron)”の“配線”に生じた異常を取り除くことが目標となるが、現代の自然科学・医学の技術では“神経単位”の同定が不可能なので、自然治癒を目指すしかない。 とい…

“病的な体験”は必ずしも治療の標的とはみなせない

――“病的な体験”は“神経単位(neuron)”の異常な“配線”で起こる正常な“演算”ではないか。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ここでいう、 ――神経単位 は、12月16日の『道草日記』で述べた通り、 ――神経細胞(nerve cell) のことではなく、 …

“病的な体験”は“神経単位”の異常な“配線”で起こる正常な“演算”ではないか

――“神経単位(neuron)”の本質は、それを担う神経細胞の集合の“配線”にあるのではないか。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ここでいう、 ――神経単位 とは、 ――神経細胞(nerve cell) のことではなく―― 僕のいう、 ――神経単位 つまり、 ―…

“神経単位”の本質は神経細胞の“活動”や“形成”にはない

脳を含む神経系には、 ――神経単位(neuron) と呼ばれる機能的な単位があって―― それは、現時点では、 ――神経細胞(nerve cell) と同一である、と―― 学術的には考えられています。 僕は、 (そうではないだろう) と思っています。 1個の神経細胞だけで神…

自己同一性の不可思議

――大きさが等しい 27 個の小さな立方体が集まって 3×3×3 の大きな立方体を成しているようにみえる立体パズル について、 ――その 3×3×3 の大きな立方体の 6 枚の面の各々に 6 色が混在をしていたものが、小さな立方体の1つひとつが位置や向きを変えていくな…

ヒトの脳を含む神経系に宿る不可思議性

脳を含む神経系は、 ――プレイヤーが操作をしなくても、自発的かつ自律的に解けてしまうような仮想的ないし空想的な立体パズル に喩えられうる、ということを―― きのうの『道草日記』で述べました。 ここでいう「立体パズル」とは―― 例えば、 ――大きさが等し…

“パズル単位”に想定をされうる“活動”や“配線”とは?

――“神経単位(neuron)”の実態を明らかにするには“演算”よりも“配線”のほうが重要である。 ということを、12月16日の『道草日記』で述べました。 ここでいう「神経単位」とは、「神経細胞」のことではなくて―― 僕のいう、 ――神経単位 つまり、 ――脳を含む神…

立体パズルを“神経単位”にみたてるのに必要な観念

――大きさが等しい 27 個の小さな立方体が集まって 3×3×3 の大きな立方体を成しているようにみえる立体パズル が、もし、 ――プレイヤーが操作をしていないのに全自動で色が揃う立体パズル であれば―― それは、脳を含む神経系――正しくは、僕がいう「神経単位(…

立体パズルは脳を含む神経系の比喩になりうる

――大きさが等しい 27 個の小さな立方体が集まって 3×3×3 の大きな立方体を成しているようにみえる立体パズル について、きのうの『道草日記』で述べました。 このパズルのプレイヤーは懸命に演算を行っているが―― このパズルそれ自体が演算を行っているわけ…

「演算」で僕が思い浮かべるのは――

――演算 という言葉をきいて、今の僕が真っ先に思い浮かべるのは―― ある立体パズルです。 大きさが等しい 27 個の小さな立方体が集まって 3×3×3 の大きな立方体を成しているようにみえる立体パズルです。 1970年代の後半に東欧で発売をされ、1980年代の前半に…

「配線」で喩えられる生命現象は?

――“神経単位(neuron)”の実態を明らかにするには“演算”よりも“配線”のほうが重要である。 との命題は、 ――“神経単位”の実態を明らかにするには“神経単位を担う神経細胞の集合の活動”よりも“神経単位を担う神経細胞の集合の形成”のほうが重要である。 と書き…

「演算」も「配線」も結局は比喩なので――

――“神経単位(neuron)”の実態を明らかにするには“演算”よりも“配線”のほうが重要である。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ここでいう、 ――演算 とは、 ――神経細胞の個々の状態の推移 のことで、 ――配線 とは、 ――神経細胞どうしの接続 …

“神経単位”に迫るには“演算”よりも“配線”――

――“神経単位(neuron)”は神経細胞のことではない。 ということを、最近の『道草日記』で繰り返し述べてきました。 では、何のことなのか―― …… …… それは―― 12月10日の『道草日記』で述べたように、 ――脳を含む神経系で行われる“演算”や“配線”の単位を担う神…

“神経細胞の研究”は、“細胞の研究”であって、“神経単位の研究”ではなく……

――神経細胞は、本来の意味での「神経単位(neuron)」ではありえず、せいぜい、その構成要素の1つにすぎないのに、脳を含む神経系が神経細胞から成っていることが判明し、その事実を重くみすぎた結果、うっかり「神経単位」とみなしてしまった。 ということ…

「神経単位」の早合点

――脳は、感覚器や運動器と間接的ないし直接的に接続を保ち、それら諸器官の機能と合わせ、自身の機能も十分に発することによって初めて、自然科学的に意味のある存在となりえる。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ――神経が集まって脳を形…

「神経単位」ではなく、「脳単位」?

僕のいう、 ――神経単位(neuron) は、「体験の発生」という機能によって規定をされうるだけで―― 例えば、腎単位(nephron)のように、確固たる形態によっても裏付けをされる、ということは、ないのではないか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べま…

“神経単位”の認識の難しさ

脳を含む神経系については、 ――“体験”の単位が“演算”や“配線”の単位を定める。 といえるのではないか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 その“単位”こそが、本当の意味での、 ――神経単位(neuron) ではないか、と―― …… …… もし、そうだと…

“体験”の単位が“演算”や“配線”の単位を定める

脳を含む神経系においては、 ――演算 や、 ――配線 が常に行われていて―― それら“演算”や“配線”に関わる無数の神経細胞の集合が、本当の意味での、 ――神経単位(neuron) である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ちょっと先走りをしすぎま…

情報の処理の技術の発達を待つしかない

――ヒトの神経系の機能や人の精神の活動の実態に迫るには、神経細胞の機能に着目をするのではなく、無数の神経細胞の集合による“演算”や“配線”に着目をする必要がある。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 それら“演算”や“配線”に関わる無数…

本来の「ニューロン」の概念

――ヒトの神経系の機能や人の精神の活動をいくら神経細胞の機能の次元で考えたところで、実態には迫れないのではないか。 ということを、12月6日の『道草日記』で述べました。 では―― どうすれば、実態に迫れるのか―― …… …… それは―― やはり、脳を含む神経系…

「シナプス」よりは「接合部」――

神経細胞と神経細胞との間にある接合部を表す言葉、 ――シナプス(synapse) には―― このカタカナ表記以外に適切な日本語がない―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ――シナプス というカタカナ語が嫌いな僕にとっては―― 実に困ったことであ…

「ニューロン」と「シナプス」と

――ニューロン(neuron) という言葉を、できるだけ使わないようにしている―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 代わりに、 ――神経細胞 を使うようにしている、と―― …… …… 実は、 ――ニューロン と同じように―― 脳や神経系のことを語るのなら…

「神経細胞」では還元のしすぎ

ヒトの脳を含む神経については、 演算 × 配線 = 体験 の図式よりも、 ヒトの神経系の機能の最小単位 = 演算 × 配線 や、 人の精神の活動の最小単位 = 体験 の図式のほうが含蓄は多いのではないか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 と…

ヒトの神経系の機能の最小単位、人の精神の活動の最小単位

脳を含む神経系について―― あらためて、 演算 × 配線 = 体験 の図式に立ち返って考えています。 11月27日の『道草日記』で述べた通り、 ――演算 とは、 ――神経細胞の個々の状態の推移 であり、 ――配線 とは、神経細胞どうしの接続 であるのですが―― では、 ―…

“配線”に一定の変化がもたらされ、“演算”が取りやめとなる

――脳を含む神経系は、“演算”を、ある程度、任意に取りやめることで、自由な意志の発動を消極的に起こしうる。 との考えについて―― きのうの『道草日記』で述べました。 この考えの肝は、 ――ある程度、任意に取りやめる―― にあります。 もう少し厳密にいえば…

ヒトの脳を含む神経系において、人の自由な意志は、いかに具現をされるのか

脳を含む神経系の働きを、 ――演算 にすぎないと、みなしてしまうと―― 人の社会は、かなり深刻な事態に陥る―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 人に自由な意志は備わっていないことになり―― どんな悪事に手を染めても、その罪を問いようが…

脳を含む神経系の働きを“演算”にすぎないと、みなしてしまうと――

――脳を含む神経系が行っている“演算”は、今日のコンピュータが行っている演算とは全く別の何かであるはずだが、脳を含む神経系の働きの少なくとも一部にコンピュータとの相同性が見出せることは否定をしがたいので、あえて「演算」と呼ぶのがよい。 というこ…