マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“神経単位”の本質は神経細胞の“活動”や“形成”にはない

 脳を含む神経系には、

 ――神経単位(neuron)

 と呼ばれる機能的な単位があって――

 それは、現時点では、

 ――神経細胞(nerve cell)

 と同一である、と――

 学術的には考えられています。

 

 僕は、

 (そうではないだろう)

 と思っています。

 

 1個の神経細胞だけで神経単位を成しうるのではなく――

 何個かの神経細胞が、何らかの規則ないし秩序の下で、ある程度、組織化をされて初めて神経単位を成しうるであろう、と――その「何個か」というのは、おそらくは「数個」とか「数十個」とかいった桁数ではなくて、「数千個」とか「数万個」とかいった桁数であろう、と――

 

 が――

 そのような組織化をされた神経細胞の集団というのが――

 現代の自然科学では、まだ同定をされていません。

 

 実験や観察を行う上での技術的な問題が深刻であり――

 同定をされえないのです。

 

 脳を含む神経系の一部として存在をするであろう――

 そのような神経細胞の集団を正確に捉えるには――

 21世紀序盤の科学技術が保証をする情報処理能力が脆弱にすぎるのだそうです。

 

 現時点で単位時間当たりに扱える情報の量を遥かに超えた量の情報を扱う必要があるといいます。

 

 情報処理能力の画期的な向上が起こらない限り――

 僕のいう、

 ――神経単位

 が同定をされることは決してありません。

 

 が、

 (とくに悲観する必要はない)

 とも思っています。

 

 そうした情報処理能力の向上は、僕らの文明が続く限り、ほぼ間違いなく起こるでしょう。

 

 それが 10 年後なのか、30 年後なのか、100 年後なのか、300 年後なのかは――

 それは、わかりませんが――

 遅かれ早かれ――

 僕のいう、

 ――神経単位

 は同定をされるでしょう。

 

 その際に――

 より重視をされるのは、

 ――演算

 のほうではなく、

 ――配線

 のほうである、と――

 僕は考えています。

 

 ――演算

 や、

 ――配線

 というのは、電算機(computer)からの比喩です。

 

 こうした比喩を用いないのであれば――

 それぞれ、

 ――活動

 と、

 ――形成

 となります。

 

 僕のいう、

 ――神経単位

 は、

 ――活動

 ではなく、

 ――形成

 にこそ、その本質が秘められている、と――

 直感をしています。

 

 より正確にいえば――

 

 少なくとも――

 1個の神経細胞の、

 ――活動

 や、

 ――形成

 には、本質らしき事物は何一つ秘められていない――

 そう感じます。