――脳は、感覚器や運動器と間接的ないし直接的に接続を保ち、それら諸器官の機能と合わせ、自身の機能も十分に発することによって初めて、自然科学的に意味のある存在となりえる。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
――神経が集まって脳を形作っているのではなく、神経の一部が脳なのである。
と――
……
……
よって――
脳の研究を本気で始めようと思ったら――
神経を丸ごと――正確には、「神経系を丸ごと」――対象に据える必要があります。
が――
21世紀序盤の現代における実験や観察の技術では――
神経を丸ごと研究の対象に据えることは不可能なのです。
情報の処理の技術だけに着目をしても、不可能です。
仮に、神経から丸ごと情報を取り出せたとしても――つまり、脳を含む神経系を成す全ての神経細胞の“演算”や“配線”の情報の全てが取り出せたとしても――
その解析を最後まで成し遂げる技術が、21世紀序盤の現代には存在をしないのです。
よって――
どうしても神経の一部を取り出してきて、研究の対象に据える必要がある――
そうしないと――
まともな解析ができないからです。
こうした技術的な制約が厳然と存在をしていたからこそ――
神経細胞の研究が始まったといえます――正確には、「神経細胞に着目をした研究が始まった」です。
いいかえるなら――
それ以外の研究ができなかった――神経細胞に着目をしない研究は、きわめてやりにくかった――
ということです。
そして――
神経細胞に着目をした研究を進めていく過程で――
脳を含む神経系が細胞の集まりであることがわかり――
それら細胞が、少なくとも相異なる2つの状態をとるとわかったことから、
――これこそ「神経単位(neuron)」に違いない!
と皆で早合点をしてしまった――
そういうことではなかったか、と――
僕は思います。