マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「神経細胞」では還元のしすぎ

 ヒトの脳を含む神経については、

  演算 × 配線 = 体験

 の図式よりも、

  ヒトの神経系の機能の最小単位 = 演算 × 配線

 や、

  人の精神の活動の最小単位 = 体験

 の図式のほうが含蓄は多いのではないか――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 とりわけ、

  ヒトの神経系の機能の最小単位 = 演算 × 配線

 の図式は、含蓄が多いと感じます。

 

 この図式のことを――

 きのうの『道草日記』で書いていて――

 僕は妙に合点がいきました。

 

 (ああ、そういうことだったか)

 と――

 

 どういうことか――

 

 ……

 

 ……

 

 ――ニューロン

 という言葉があります。

 英語の「neuron」の訳語です。

 

 意味は、

 ――神経細胞

 と正確に同じです。

 

 ――Neuron

 は、あえてカタカナを用いずに日本語に訳せば、

 ――神経単位

 となります。

 ――神経元

 と訳されることもあります。

 

 よって、

 

  神経細胞

  = ニューロン

  = 神経単位

  = 神経元

 

 です。

 どの言葉を用いても、本質的な違いはありません。

 

 が――

 これらの言葉のうち、日本語圏において最も好んで使われているのは、

 ――ニューロン

 のようです。

 

 その流儀に――

 僕は与しません。

 

 僕は、

 ――ニューロン

 という言葉を、できる限り使わないようにしています――「神経単位」や「神経元」という言葉も同様です。

 

 なぜか――

 

 ……

 

 ……

 

 ――ニューロン

 が、神経系の構造的な単位――神経系の形態と機能との連関に注目をした場合の最小単位――であることに異論はありません。

 とくに、神経系の形態に生物学的な観点から着目をした場合に、

 ――神経細胞

 が最小単位とみなされるのは、きわめて自然です。

 生命体の最小単位は常に細胞とみなされるのです。

 

 が――

 少なくとも、ヒトの神経系の機能を考える上で――そして、ひいては人の精神の活動を考える上で、

 ――神経細胞

 は、ちょっと小さすぎるのですね。

 

 少し気どった表現にすれば、

 ――還元のしすぎ

 です。

 

(いくら神経細胞の機能の次元で考えても、ヒトの神経系の機能や人の精神の活動には迫れない)

 と、僕は考えています。

 

 それは――

 いくら水素原子や炭素原子、窒素原子、酸素原子の性質の次元で考えても、タンパク質の性質に迫れないのと同じです。

 

 タンパク質の性質に迫るには、アミノ酸の性質の次元で考える必要があり――

 そのアミノ酸を成す原子の性質の次元で考えるのは、むしろ、タンパク質の性質から遠ざかります。

 

 それと同じで――

 ヒトの神経系の機能や人の精神の活動に迫るには、個々の神経細胞の機能ではなく、神経細胞の集合による“演算”や“配線”を考える必要がある――

 そう僕は考えています。

 

 きのうの『道草日記』で、

  ヒトの神経系の機能の最小単位 = 演算 × 配線

 の図式を記したときに――

 僕が思ったことは、こうでした。

 

(僕は、神経細胞を「ニューロン」とみなすことに納得をしていなかったんだ)

 

 僕は、医学生の頃から、

 ――ニューロン

 という言葉が、どうにも、しっくりとこなくて――

 できる限り、

 ――神経細胞

 を用いていました。

 

 大学院にいた頃も、できる限り、

 ――ニューロン

 は避けてきました。

 

 その理由は長年よくわかっていなかったのですが――

 きのう、ようやくわかった気がしたのです。