マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“配線”は“演算”に一定の傾向をもたらし、“演算”は“配線”に――

 脳を含む神経系において、

 ――“配線”は“演算”に一定の傾向をもたらす。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 このことと――

 脳を含む神経系を考える上で有意義と思われる図式の基本形、

  演算 × 配線 = 体験

 とを考え併せると――

 興味深い結論に至ります。

 

 それは、

 ――“配線”が変われば、“演算”も変わるので、“体験”は、おそらくは“配線”や“演算”が変わる以上に変わる。

 という結論です。

 

 ところで――

 

 ……

 

 ……

 

 ――配線

 とは、

 ――(脳を含む神経系を成す)神経細胞うしの接続

 であり、

 ――演算

 とは、

 ――(脳を含む神経系を成す)神経細胞の個々の状態の推移

 であるのでした。

 

 このことを思い起こせば、

 ――“配線”は“演算”に一定の傾向をもたらす。

 とは、

 ――“神経細胞うしの接続”が変わることによって、“神経細胞の個々の状態の推移”が変わる。

 という意味とわかります。

 

 では――

 その“神経細胞うしの接続”は、何によって変わるのでしょうか。

 

 ここで通俗的心身二元論の考え――心と身とは完全に独立をしているという考え――を持ち出して、

 ――“神経細胞うしの接続”は心の在りようによって変わる。

 と仮定をすると、

 ――実は“神経細胞の個々の状態の推移”は単調であり、“神経細胞うしの接続”とも心の在りようとも無関係に一定である。

 との結論に辿り着きえます。

 

 これは、これで、ありうる結論かもしれませんが、

 ――実は“神経細胞の個々の状態の推移は単調なのである。

 という観方は、

 (ちょっと面白みにかける)

 といわざるをえません。

 

 もし、通俗的心身二元論の考えを持ち出さないのであれば――

 次のように考えるのが最も自然でしょう。

 

 ――“神経細胞うしの接続”は“神経細胞の個々の状態の推移”によって変わる。

 つまり、

 ――“配線”は“演算”に一定の傾向をもたらし、“演算”は“配線”に一定の変化をもたらす。

 ということです。

 

 こうした観方を踏まえて、

  演算 × 配線 = 体験

 の図式を改めて眺めてみると――

 先ほど述べた、

 ――“配線”が変われば、“演算”も変わるので、“体験”は、おそらくは“配線”や“演算”が変わる以上に変わる。

 という結論には、

(それは、たしかに、そうだろう)

 との感慨が伴います。