マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“配線”は“演算”に一定の傾向をもたらす

 脳を含む神経系では、

 ――配線

 は、

 ――演算

 の及ぶ範囲を、ある程度、限っていることになる――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 この、

 ――限っている

 の意味には――

 様々な階層があると考えられます。

 

 おそらく――

 最も大雑把な意味では、

 ――脳の“配線”が脳の機能局在をもたらしている。

 といえるでしょう。

 

 ――脳の機能局在

 とは、

 ――脳が部位ごとに違った機能を備えていること

 を指します。

 例えば、ある部位では目で捉えた情報の処理を行い、他のある部位では手足を動かすための処理を行う――というようにです。

 

 このように部位ごとに処理をしている内容が違うということは、神経細胞うしの接続が、それら部位ごとに偏っていることを示していると考えられます。

 

 このような“脳の機能局在”は、感覚や運動に障害を負っていた人たちの脳を死後に調べた結果、ある程度、明らかになっていますし――

 手術で頭蓋骨が開かれている人の脳に電気的な刺激を加える実験によっても、ある程度、明らかになっています。

 

 その後――

 20世紀の末から今世紀の初めにかけて、頭蓋骨を開かずに人の脳の働きを間接的にみられる技術(機能的磁気共鳴画像法)が開発をされ――

 その技術によって示唆をされた知見は、いずれも“脳の機能局在”を否定はしませんでした。

 

 よって――

 今日、“脳の機能局在”を疑う科学者や医師は殆ど存在をしません。

 

 ――脳の機能局在

 という観方に理屈の上で根拠を与えるのが、

 ――配線

 です。

 

 そのような意味で、

 ――“配線”が“演算”の及ぶ範囲を限っている。

 というのは自明といえます。

 

 が――

 僕が、

 「“配線”が“演算”の及ぶ範囲を限っている」

 というときには――

 そうした意味だけを伝えたいのではありません。

 

 もっと遥かに微妙な意味で、

 ――限っている

 と、僕は考えています。

 

 それは――

 例えば、

 ――その時々の“演算”の結果は、“配線”の影響を受ける。

 という意味です。

 

 もう少し比喩的に述べるなら、

 ――“配線”が“演算”の方向性を決めている。

 とか、

 ――“配線”が“演算”の多様性を絞っている。

 とかいった表現になります。

 

 つまり、

 ――“配線”は“演算”に一定の傾向をもたらす。

 という意味です。