マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧

戦争は必ずしも政治的な理由だけで起こるわけではない

紀元前5世紀ギリシャの歴史家トゥキュディデスの言葉、 ――戦争は、利益、恐怖、名誉のいずれかが原因で起こる。 について―― きのうの『道草日記』で触れました。 とても示唆に富む言葉であると思っています。 が―― この言葉を―― 僕は次のように読みかえてい…

トゥキュディデスの分析が当てはまる

――戦争は、利益、恐怖、名誉のいずれかが原因で起こる。 という考え方があります。 紀元前5世紀ギリシャの歴史家トゥキュディデスの言葉と伝わります。 トゥキュディデスは、 ――トゥキュディデスの罠 の概念で有名です。 従来の覇権国家に対し、台頭の振興…

どちらの人々も、つらく、苦しく、そして、何よりも、悔しいであろう

ロシア軍によるウクライナへの侵攻が続いているようですね。 報道によれば―― 現地は、首都キエフを筆頭に、酷い有り様です。 ――激しい戦闘が続いている。 などと表現をされますが―― 実際に起こっていることは、 ――殺し合い です。 つい1週間前までは―― 石畳…

“戦争の素晴らしい終わらせ方”を少しでも考えていたか

――戦争は、始めるのは簡単だが、終わらせるのが難しい。 と、よくいわれます。 まったく、その通りです。 戦争を始めるのは、いかなる凡人にも、簡単にできてしまう―― が―― 戦争を終わらせるのは、卓説をした賢人でも大変に苦労をします。 理由は簡単です。 …

とんでもないニュースが飛び込んできた

――入学試験 の話を―― ここ数週間の『道草日記』で続けてきましたが―― きょうになって―― とんでもないニュースが飛び込んできました。 ――ロシアがウクライナへ侵攻をしている。 というニュースです。 ロシアがウクライナの国境付近に強大な兵力を集めていたこ…

出題者が匿名をやめることの危険性

――出題者は匿名をやめたらよい。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 実際には―― 匿名をやめるのは、けっこう大変なことのようです。 とくに、大学入学共通テストのような――あるいは、以前の大学入試センター試験のような――志願者の一生に甚…

出題者は匿名をやめたらよい

入学試験の出題者は、志願者の得点分布を巧みに散りばめることで、合否判定を円滑に行えるようにしておく必要があるために、 ――多くの志願者の得点を手っ取り早く低めることができる。 という、志願者にとっては、たんなる嫌がらせにしか感じられないような…

出題者の怠慢

――入学試験の悪質度 という尺度よって―― その入学試験の良し悪しをある程度は客観的に表せるのなら―― 出題者の意識は大いに変わるであろう―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 例えば、 ――試験時間を延ばした場合の単位時間あたりの平均点…

“入学試験の悪質度”は実用的ではないけれど……

――入学試験の悪質度 を、 ――試験時間を延ばした場合の単位時間あたりの平均点の上昇 で測ってはどうか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 例えば―― 試験時間が1時間の入学試験について―― 試験時間を1時間だけ延ばして2時間にして、平均…

入学試験の悪質度

――難しい問題が数少なく課されるのなら特別な受験技術は不要になる。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ここでいう、 ――特別な受験技術 とは何か―― …… …… 色々とありますが―― その殆どは、 ――時間の節約の技術 です。 いかに短い時間で問題…

難しい問題が数少なく課されるのなら特別な受験技術は不要になる

入学試験を、 ――難しい問題を数少なく課す という様式にすれば、 ――教わり育とう! の思いに溢れた志願者を選び出すことができる―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 では、具体的にどうすれば―― そのような様式の入学試験になるのか―― …… …

難しい問題を数少なく課す

――入学試験には、人道的な見地から、試験時間に制限をかけざるをえない。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 その制限時間の長さというのは―― 志願者の年齢によります。 幼い子どもであれば、どんなに長くても1時間―― 大人に近い子どもでも…

入学試験が抱える問題点の1つ

――本1冊分以上を読み込んでいく入学試験 について―― きのうの『道草日記』で述べました。 ――本1冊分以上 というのは、あくまでも全教科・全科目を含めてのことであり―― 単独の教科・科目のことではありません。 単独の教科・科目で本1冊分以上の入学試験…

本1冊分以上を読み込んでいく入学試験

――教わり育とう! の思いをが強い志願者ほど有利となる入学試験について―― きのうの『道草日記』で述べました。 それは―― まだ志願者が得ていないであろう知識や理解をその場で与えて――入学試験の会場で与えて――解かせる問題ばかりで構成をされた入学試験で…

「教わり育とう!」の思いが強い志願者ほど有利となる入学試験

そんなに風変りな入学試験を行わなくても――例えば、旧来の“多肢選択式”や“空欄補充式”、“文章論述式”の入学試験であっても――入学試験の行い方に工夫を施せば、 ――教わり育とう! と思い始めているか否かのみきわめは可能である―― ということを、きのうの『道…

「教わり育とう!」と思い始めているか否かをみきわめる

大人の“教育”――あるいは、そんなに幼くはない子どもの“教育”――では、 ――教わり育とう! と思い始めていない者は“教育”の対象から外す必要があると―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 この主張に基づくならば―― 大人の“教育”を行う機関――大…

「教わり育とう!」と思い始めていない者は“教育”の対象から外す

幼い子どもの“教育”では―― 教育対象者が幼い子どもであるがゆえに、 ――教わり育とう! と思い始める前の段階に重点を置かざるをえず―― 幼い子どもが、実際に、 ――教わり育とう! と思い始めた後の段階には、なかなか重点を置くことができない―― ということを…

“教育”の本質は“邪魔をしないようにする”

――教育 の本分は、 ――教わり育つ の実態を伝えることではなくて、 ――教わり育とう! と思っている者を助けていくことである―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 この、 ――教わり育とう! と思っている者を、 ――助ける というのは―― 実際に…

幼い子どもの“教育”に潜む矛盾

――教育 という営みは―― その対象が大人の場合よりも、子どもの場合のほうが―― ひと手間、加わる分、より複雑である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 その、 ――ひと手間 というのは、 ――教育 という営みの実態を伝える―― という手間です…

“教育”の基本形は“教育対象者”が大人の場合

――教育 とは、 ――教わり育つこと ということを、繰り返し述べています。 きのうの『道草日記』で述べたように―― 以後、 ――教育 に仕事として携わる者を、 ――教育従事者 と呼び、 ――教育 の対象となる者を、 ――教育対象者 と呼ぶことにしましょう。 ところで―…

「教育者」→「教育従事者」

――教育者と教育の対象者との間には明確な境界がある。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ここでいう、 ――教育者 とは、 ――仕事として教育に携わる者 という意味であることは、2月3日の『道草日記』で述べた通りです。 が―― ふつうに、 ――教…

教育者と教育の対象者との境界

教育者の役割は―― 教育の対象者が大人であろうと子どもであろうと、 ――討論会の司会・進行役 であることに変わりはない―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ここでいう、 ――教育の対象者 とは、 ――教わり育とうとする者 のことです。 この…

想像力が豊かで許容度の広い“司会・進行役”

――教育者の役割は“公開討論会(symposium)の司会・進行役”のようなものである。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ――公開討論会の演者 が、 ――教わり育とうとする者 に相当をし、 ――公開討論会の聴衆 が、 ――教わり育とうとする者の家族 …

教育者は“公開討論会の司会・進行役”である

――仕事として教育に携わる者 を、 ――教育者 と呼んだ上で―― 例えば、学校の先生や大学の先生、塾や予備校の先生、習い事の先生は、もちろんのこと、職場で後輩や部下に仕事の内容や手法を伝える先輩や上司も、広い意味で、 ――教育者 とみなしてよい―― という…

学校よりも職場で、職場よりも家庭で、より深刻――

――教育 とは、 ――教え、育てる ではなく、 ――教えを乞うように働きかけ、その結果、しぜんと育つように導く。 である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ――教育者は出しゃばってはならない。 とも述べました。 …… …… ――教育者は出しゃばっ…

教育者は出しゃばってはならない

――教育 を、 ――教え、育てる と思っているうちは、きちんとした教育にはならない―― そもそも、 ――教育をする という表現それ自体が間違っている―― ――教育 とは、 ――教え、育てる ということではなくて、 ――教わらせ、育たせる。 ということである―― よって、…

大人を対象とする教育

――メンデル(Mendel)の法則 について―― 僕は、 ――知っていた。けど、よくわかっていなかった。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 この、 ――知っていた。けど、よくわかっていなかった。 の気づきは―― いわゆる大人を対象とする教育の在り…

知っていた。けど、よくわかっていなかった

――メンデル(Mendel)の法則 を僕が知ったのは―― 高校1年の頃でした。 それまでは「メンデルの法則」の「メ」の字も知りませんでした。 ――メンデルの法則 を知った後も―― それによって示されている内容に心が動かされることは殆どなく―― この30年以上の間――…