マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

教育者は“公開討論会の司会・進行役”である

 ――仕事として教育に携わる者

 を、

 ――教育者

 と呼んだ上で――

 例えば、学校の先生や大学の先生、塾や予備校の先生、習い事の先生は、もちろんのこと、職場で後輩や部下に仕事の内容や手法を伝える先輩や上司も、広い意味で、

 ――教育者

 とみなしてよい――

 ということを、おとといの『道草日記』で述べました。

 

 この、

 ――教育者

 の役割を――

 例えば、

 ――講演会の講師

 のような役割と思っている人がいるとしたら、

 (それは違う)

 と、僕は思っています。

 

 ――教育者

 とは――

 例えば

 ――公開討論会(symposium)の司会・進行役

 のようなものである、と――

 僕は考えます。

 

 どういうことか――

 

 ……

 

 ……

 

 最初に、演者たちに存分に語らせた上で――

 個々の演者たちの意見の相違を取りまとめたり、聴衆の質疑応答を取り次いだりしながら、できるだけ自然な流れで、暗に結論を示していく――

 それが、公開討論会の司会・進行役の仕事であるとするならば――

 

 教育者の仕事は――

 最初に、教わり育とうとする者たちに存分に学ばせた上で――

 教わり育とうとする者たちの多くが習得に躓(つまず)く内容を見出し、その躓く原因を調べ、それに躓かずに済むコツを見出して示したり、教わり育とうする者たちの家族に状況を伝え、教わり育とうとする者の支持の仕方や見守の要点を示したりしながら、できるだけ自然な流れで、その者の習熟や成長を促していく――

 それが、教育者の仕事である、と――

 僕は考えているのです。

 

 ――公開討論会の演者

 が、

 ――教わり育とうとする者

 に相当をし、

 ――公開討論会の聴衆

 が、

 ――教わり育とうとする者の家族

 に相当をします。

 

 おとといの『道草日記』で、僕が、

 ――教育者は出しゃばってはならない。

 と述べた際に――

 念頭にあったのは、

 ――公開討論会の司会・進行役は出しゃばってはならない。

 ということでした。