マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“教育”の基本形は“教育対象者”が大人の場合

 ――教育

 とは、

 ――教わり育つこと

 ということを、繰り返し述べています。

 

 きのうの『道草日記』で述べたように――

 以後、

 ――教育

 に仕事として携わる者を、

 ――教育従事者

 と呼び、

 ――教育

 の対象となる者を、

 ――教育対象者

 と呼ぶことにしましょう。

 

 ところで――

 

 ……

 

 ……

 

 ――教育

 という営みは――

 ちょっと意外に思われるかもしれませんが――

 ――教育対象者

 が、子どもである場合ではなくて、大人である場合が基本形とみなされます。

 

 どういうことか――

 

 ……

 

 ……

 

 ――教育対象者

 が、大人である場合は、

 ――教育従事者

 は、

 ――教育対象者

 の候補者たちから、

 ――教わり育とうとする者

 を見出し――

 その者たちを、

 ――教育対象者

 とみなし――

 その者たちが教わり育とうとするのを見守り――

 ときに、その者たちを適切な方向へ誘います。

 

 一方、

 ――教育対象者

 が、子どもである場合は、

 ――教育従事者

 は、

 ――教育対象者

 の候補者たちに対し、まずは、

 ――教わり育つこと

 が、どのような営みであるかを伝えます。

 

 相手が子どもですから――

 どんなに言葉を尽くして説明をしても、効果は乏しいでしょう。

 

 よって――

 言葉で説明をするのではなく――

 その営みを実際に目の当たりにさせます。

 

 つまり、

 ――教育対象者

 の候補者たちに――

 実際に、

 ――教育対象者

 が、

 ――教育従事者

 から教わっているところを――そして、できることなら、育っていくところを――具体的にみせるのですね。

 

 その上で、

 ――教育対象者

 の候補者たちから、

 ――教わり育とうとする者

 を見出して、

 ――教育対象者

 とします。

 あとは大人の場合と同じです。

 

 つまり、

 ――教育

 という営みは――

 その対象が大人の場合よりも、子どもの場合のほうが――

 ひと手間、加わる分、より複雑なのです。