マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「教育者」→「教育従事者」

 ――教育者と教育の対象者との間には明確な境界がある。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ここでいう、

 ――教育者

 とは、

 ――仕事として教育に携わる者

 という意味であることは、2月3日の『道草日記』で述べた通りです。

 

 が――

 ふつうに、

 ――教育者

 というと――

 その字面から、

 ――教え育てる者

 という意味にとられやすいことは、ほぼ間違いありません。

 

 かくいう僕でさえ――

 そんな意味で「教育者」を使ってしまうことがあります。

 

 ――教育者

 に代わる何かよい言葉はないでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 ネットで検索をしていたら、

 ――教育従事者

 という言葉をみつけました。

 

 これは悪くないと思います。

 

 たぶん、

 ――医療従事者

 からの転用でしょう。

 

 この言葉を用い始めるなら、

 ――教育の対象者

 も、たんに、

 ――教育対象者

 と記して良さそうです。

 

 ――教育従事者

 と、

 ――教育対象者

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 つまり、

 ――教育者と教育の対象者との間には明確な境界がある。

 というのは、

 ――教育従事者と教育対象者との間には明確な境界がある。

 と述べ直すことができます。

 

 ――従事

 と、

 ――対象

 とですから――

 ぜんぜん違いますよね。

 

 ……

 

 ……

 

 僕が、

 ――教育

 に本格的な興味を持ち始めたのは、大学に入った後です。

 

 それまで、

 ――教育対象者

 のみでいた者が――

 大学の講義・実習で教わりつつ、教育のアルバイトで高校生に関わるようになり、

 ――教育対象者

 と、

 ――教育従事者

 との二足の草鞋をはくようになりました。

 

 これがよかったのでしょう。

 ――教育

 の表側と裏側とをつぶさにみつめる機会を得ました。

 

 が――

 その頃、

 ――教育を一生の仕事にしよう。

 とは、ほとんど思いませんでした。

 

 今も思っていません。

 

(教育者にはなりたくないな)

 と、これまで何となく思ってきましたし、今も漠然と思っているのです。

 

 理由は、

 ――教育者

 という言葉が好きではないから――

 他には、とくに理由はありません。

 

 少なくとも自分では――

 これといった理由を指摘はできません。

 

 が――

 もし、この、

 ――教育者

 が、

 ――教育従事者

 であったなら、どうであったか――

 

 ……

 

 ……

 

(「教育従事者」になら、なってもよかったかもしれない)

 そんなふうに思います。