マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「解剖生理学」に触れる度に思い浮かぶ人物

 ――いわゆる医学は、解剖学と生理学とが混然一体となって始まった。

 ということを、おとといの『道草日記』で述べました。

 

 ――その後、それぞれ“純粋解剖学”と“実験生理学”とに分化をしていった。

 とも――

 

 ……

 

 ……

 

 面白いことに――

 現在――

 少なくとも医学教育の世界では――

 解剖学と生理学とが再び混然一体となっています。

 

 ――解剖生理学

 という言葉があるのです。

 

 ――解剖

 や、

 ――生理

 の意味がわかっていると、何とも奇妙な言葉に感じるのですが――

 現代の医学教育に馴染んでいる人たちにとっては――

 おそらく、まったく奇妙には感じられません。

 

 2017年1月17日の『道草日記』で述べたように、

 ここでの、

 ――解剖

 は、

 ――形態

 という意味であり、

 ――生理

 は、

 ――機能

 という意味であるのです。

 

 解剖学が体の形態を見定める学問であり、生理学が体の機能を見極める学問であることが前提となっています。

 

 つまり、

 ――解剖生理学

 とは、

 ――体の形態および機能に関わる学問

 という意味です。

 

 ところで、

 ――機能

 と、

 ――形態

 とを合わせて、

 ――構造

 と呼びます。

 

 よって、

 ――解剖生理学

 は、

 ――体の構造に関する学問

 です。

 

 よって――

 僕は、

 ――解剖生理学

 という言葉に触れる度に――

 ある人物のことが思い浮かびます。

 

 16世紀のブリュッセル生まれの医師・解剖学者アンドレアス・ヴェサリウス(Andreas Vesalius)です。

 

 ヴェサリウスが残した人体解剖図版集『ファブリカ(fabrica)』の正式名は『人の体の構造(De humani corporis fabrica)』でした。

 

 つまり、

 ――人の体の構造(De humani corporis fabrica)

 というのは、

 ――解剖生理

 のことに他なりません。

 

ヴェサリウスは、実は 500 年後の医学教育の実態を見越して、あの『ファブリカ』を世に送り出したのではないか)

 などと思ったりもします。