――「血液循環」説の確立
というパラダイム・シフト(paradigm shift)は、
――美術画の印刷の技術
というブレイクスルー(breakthrough)によってもたらされた――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
このように述べると、
――血液循環と美術画の印刷と、ぜんぜん関係ないじゃないか。
と訝る向きもあるでしょう。
たしかに――
直接の関係はありません。
が――
間接の関係なら、あるのです。
人の体の解剖をされている様子が写実的に描かれ、ほとんど美術画の域に達しているような場合には――
その美術画を繰り返し眺めることで、人は、
――ああでもない。こうでもない。
と豊かな思索に耽ることが可能です。
16世紀のイタリアで、人体解剖図版集『ファブリカ(fabrica)』が出版をされる前は――
人の体の解剖をされている様子は、ほとんど模式図といってよいくらいに簡素で、形式化・類型化をされていました。
そのような模式図をいくら繰り返しみたところで、
――ああでもない。こうでもない。
と思索に耽ることは不可能です。
人の体の内部の仕組みを考える上で――
豊かな思索に耽ることを許す美術画の存在は、画期的であったといえます。
なぜならば――
実際に人の体の解剖を行うときには、思索に耽る暇など、見出せないからです。
人の体は、手際よく解剖を行っていかないと、すぐに腐敗をしてしまう――
19世紀の終盤に、いわゆるホルマリン(formalin)を用いる防腐処理の技術が確立をされるまでは――
解剖は時間との闘いでした。
そのような不毛な時間との闘いの傍らで――
人体解剖学図版集『ファブリカ(fabrica)』は、解剖学者たちに、豊かな思索に耽る時間を差し出したのです。
そのような思索から、
――「血液循環」説
あるいは、
――「血液循環」説の土台となる発想
は生まれたのではないか、と――
僕は考えています。