マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

解剖学は「観察生理学」から「純粋解剖学」へ

 ――解剖学は、そもそも「観察生理学」と呼ばれるのが妥当であった。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 17世紀序盤のイギリスで「血液循環」説を唱えたウィリアム・ハーヴィー(William Harvey)は、「医学史上、最初の生理学者」と目されていますが――

 そのハーヴィーが採った手法は、きわめて解剖的でした。

 

 ごく簡単にいってしまうと――

 ハーヴィーは――

 死んだ人の体で解剖を行い、心臓や血管系の形態をつぶさに観るのと同時に――

 生きている動物の体でも解剖を行い、心臓や血管系の構造――機能と形態との連関――をつぶさに観ることで、

 ――血液循環

 の事実に気づいたのです。

 

 が――

 これは、一種の僥倖といえました。

 

 ――血液循環

 という大々的かつ明白的な機能が対象であったからこそ――

 ハーヴィーは、ほとんど解剖的な観察のみによって――

 この機能の存在に気づけたはずです。

 

 もし、

 ――血液循環

 以外の機能――例えば、消化とか呼吸とかいった機能――が対象であったなら――

 解剖的な観察のみによって気づかれることは、ほぼ、ありえなかったでしょう。

 

 ハーヴィー以後の医学者たちは――

 この現実を少しずつ察し始めます。

 

 そして――

 18世紀になって、解剖は、生理学の手法の1つであることをやめるのです。

 

 ――形態から機能を推し量る。

 という試みが意図的に行われなくなるのですね。

 

 ――機能はよい。構造もよい。ただ、形態のみに注意を向けていく。

 

 ……

 

 ……

 

 こうして――

 解剖は、解剖のための解剖となっていきます。

 

 解剖のための解剖を究めていく学問が、

 ――解剖学

 です。

 

 ここでは、

 ――純粋解剖学

 と呼ぶことにします。

 

 この「純粋解剖学」は――

 例えば、紀元2世紀ギリシャ・ローマの医師・医学者アエリウス・ガレノス(Aelius Galenus)の解剖学――僕のいう「観察生理学」――とは――

 本質的に異なります。

 

 18世紀の以後の解剖学者は、僕のいう「観察生理学」の実践を諦め、体の機能への関心――体の機能を推し量る誘惑――を封じたのです。

 

 ――それは我々の仕事ではない。後世の学者たちの仕事である。

 と割り切ったのでしょう。

 

 背景にあったのは、

 ――我々の仕事は、後世、何の役にも立たないかもしれない。が、とりあえず今、我々が行うべきは、解剖のための解剖を究めることであり、体の形態を厳密に明らかにすることである。それが、ひょっとすると、後世、何かの役に立つかもしれない。

 そういう諦観ではなかったかと想像をします。