マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ハーヴィーの手法は、きわめて解剖的――

 ――17世紀序盤のイギリスで「血液循環」説を唱えたウィリアム・ハーヴィー(William Harvey)は「医学史上、最初の生理学者」と呼ばれることが多いのであるが、その理由は、ハーヴィーが“体の構造”から“体の機能”を抜き出したからである。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 つまり――

 ハーヴィーは、

 ――生理学者としての資質に恵まれていたから、“体の機能”を見出せた。

 というわけではないのです。

 

 ――“体の機能”を見出したから、「生理学者」と呼ばれるようになった。

 というのが、正しいでしょう。

 

 ハーヴィーは――

 おそらくは解剖学者として、“体の構造”から“体の形態”を注意深く抜き出そうとしているうちに――

 自然と“体の機能”を見出すに至ったのだ、と――

 僕は考えています。

 

 10月15日の『道草日記』で述べたように――

 ハーヴィーは、「血液循環」説を、以下の3つの知見に基づき、唱えました。

 

 1)心臓の内腔の右半分と左半分とを繋ぐ小さな孔は、実は存在をしていない。

 2)心臓や静脈の内腔には弁のような構造物があり、血液を一方向へ流している。

 3)心臓から大動脈へ拍出をされる血液の重さは 、1 日当たり、体重の約 100 倍である。

 

 これらの知見は、いずれも、主に観察によって得られています。

 ハーヴィーは、「血液循環」説を唱える際に、これといった大掛かりな実験を、少なくとも人体では、試みていないのです。

 2)に関し、人体に傷をつけない程度の、ささやかな実験を行っているに過ぎません。

 

 その意味で――

 ハーヴィーの手法は、きわめて解剖的でした。

 

 なぜ、

 ――解剖的

 といえるのか――

 

 ……

 

 ……

 

 おとといの『道草日記』で述べた通り――

 

 ――解剖

 とは、

 ――観察

 に他ならないからです。