マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

真の意味での解剖学の先駆者

 ――紀元2世紀ギリシャ・ローマの医師・医学者アエリウス・ガレノス(Aelius Galenus)が血液循環の洞察に達しえなかったのは、人の体の解剖を十分に行えなかったからである。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ヨーロッパで人の体の解剖が十分に行えるようになったのは――

 13世紀頃からと考えられています。

 

 当時のローマ教皇が号令を発し、宗教的ないし道徳的な見地からの禁令を少しずつ緩めていったのです。

 

 ガレノスの時代から 1,000 年以上が経っていました。

 

 16世紀に入ると――

 人の体の解剖は、学術の観点から、わりと頻繁に行われるようになります。

 

 が――

 当初は、1,400 年前にガレノスが著した書物の内容を確かめることが、その主な目的であったそうです。

 

 つまり――

 少なくともヨーロッパでは、ガレノスの死後 1,400 年もの間、ガレノスの残した知見が金科玉条のように追認をされていたのです。

 

 こうしたヨーロッパ医学の停滞を吹き飛ばしたのは――

 16世紀のブリュッセル生まれの医師・解剖学者アンドレアス・ヴェサリウス(Andreas Vesalius)でした。

 

 ヴェサリウスは、ガレノスの残した書物に拘りませんでした。

 人の体を自ら切り開いていく腕と自らの目の前に広がっていた事実とを信じたといいます。

 

 驚くべくことに――

 ヴェサリウス以前の解剖学者たちは、刃物を手に自ら人の体を切り開いていくことに消極的でした。

 

 亡くなった人の体に直に触れることを忌み嫌ったのです。

 

 ヴェサリウスは違いました。

 自ら積極的に解剖用の刃物を握りました。

 

 なぜ、ヴェサリウスは躊躇をしなかったのか――

 

 ――ヴェサリウスは死体愛好症の倒錯者であったから――

 との説が、まことしやかに流布をしています。

 

 そうであったかもしれません。

 

 少なくとも――

 人の体への執着が度を越していたからこそ――

 ヴェサリウスは真の意味での解剖学の先駆者として歴史に名を残したといえます。