マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧

“論理的思考”が素になってはいるが“批判的思考”とは別の思考

――批判的思考 と、 ――論理的思考 との違いについて―― きのうの『道草日記』で述べました。 が―― 本来、この2つの思考は、対立的に捉えるべきことではありません。 ――批判的思考 の素になっているのが、 ――論理的思考 なのであって―― ――批判的思考 は、 ――論…

“批判的思考”と“論理的思考”との違い

――批判的思考 のことを思うとき―― どうしても気になるのは、 ――論理的思考 との違いです。 ――批判的思考 について―― おとといの『道草日記』では―― 要するに、 前提 ↓ 論理1 ↓ 論理2 ↓ : ↓ 論理n ↓ 結論 の流れを重くみること、あるいは、つねに念頭に置…

“批判的思考”の教育は簡単に試みられるけれど……

――批判的思考 とは―― 要するに、 前提 ↓ 論理1 ↓ 論理2 ↓ : ↓ 論理n ↓ 結論 の流れを重くみること、つねに念頭に置くことである―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 このことを踏まえると、 ――“批判的思考”の教育 は―― 実は、どこでも…

“批判的思考”とは? 極論――

――批判的思考 の要点には、 ――前提の設定 および、 ――結論の導出 の他に、 ――前提の導出(前提の遡及) がある―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ――前提の設定 と、 ――結論の導出 との他に、 ――前提の導出 を挙げると―― では、 ――結論の…

“批判的思考”の要点の3つめ

――批判的思考 の要点には、 ――前提の設定 と、 ――結論の導出 との2つがある―― ということを、7月16日の『道草日記』で述べました。 実は―― もう1つ要点があります。 それは、 ――前提の導出 です。 あるいは、 ――前提の遡及 といったほうが、よいかもしれま…

部分的ホーム・スクーリング

――批判的思考 を子どもたちにしっかりと学んでもらうためには、1対1の対応が可能なホーム・スクーリング(homeschooling)しかないのだが―― そのホーム・スクーリングにも、 ――教員の確保 や、 ――他者との交流 といった難点がある―― ということを―― きのう…

ホーム・スクーリングにも難点はある

――学校教育では“批判的思考”を十分に扱えないので、ホーム・スクーリング(homeschooling)に行き着く。 ということを―― きのうの『道草日記』で述べました。 ただし―― ホーム・スクーリングにも難点はあります。 1つは、 ――教員の確保 です。 家庭教師を雇…

その差は“五十歩百歩”にすぎない

現代アメリカの学校教育が、 ――教員たちの管理下の“プレゼンテーション(presenation)” に偏っていて、 ――“批判的思考”の真似事 にとどまっている一方―― 現代日本の学校教育が、 ――教科書に縛られる“ペーパーテスト” に偏っていて、 ――“批判的思考”の真似事…

現代アメリカの学校教育における“プレゼンテーション”の弊害

現代日本の学校教育における、 ――“ペーパーテスト”の弊害 は―― その“ペーパーテスト”が、子どもたちに、 ――“批判的思考”の真似事の真似事 を強いている点に如実に現れている―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ――“批判的思考”の真似事 で…

“批判的思考”の真似事の真似事

現代アメリカの学校教育では、 ――プレゼンテーション(presentation) に偏っていて―― 現代日本の学校教育では、 ――ペーパーテスト に偏っている―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 この違いは―― おそらくは―― 学校教育で、 ――批判的思考 …

「毎日プレゼンテーションで、うんざりだった」

――プレゼンテーション(presentation) が、現代アメリカの学校教育で重視をされている―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 この“プレゼンテーション”を数多くこなすことで―― アメリカの子どもたちは―― いわゆる“批判的思考”の要点である、…

“プレゼンテーション”を数多くこなす狙い

現代日本の学校教育には―― まずは、 ――論理の展開 を扱うのがよく、 ――批判的思考 は、 ――論理の展開 が、ある程度こなせるようになってから扱うのがよい―― との総意があるようだ―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ――批判的思考 の要点は…

“批判的思考”を扱わない3つめの理由

現代日本の学校教育は、しばしば、 ――批判的思考を扱わない。 と非難をされる―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 その理由として、 ――教員や児童・生徒の保護者の多くが“批判的思考”に慣れていない。 ということ―― および、 ――「批判的思…

“批判的思考”が軽視をされる理由

教育の素材として、 ――批判的思考 が最適かどうかは―― 教育の目標を、 ――確かな知恵 や、 ――巧みな技術 に置くかどうかによる―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 もし―― 教育の目標を、 ――豊かな知識 や、 ――色々な経験 に置くのなら、 ――…

“批判的思考”が教育の最適な素材となる理由

――しっかりとした“自我”で、くっきりとした“自己”をとらえる力――つまり、“確固たる内省”の力――こそが“批判的思考”を可能にする。 ということを―― おとといの『道草日記』で述べています。 それは、 ――批判的思考 が―― きのうの『道草日記』で述べた通り―― ――…

批判的思考の実際

「Critical thinking」の「critical」は、 ――物事の良し悪しを決定的に評する つまり、 ――物事を本質的に評する という意味である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 よって、 ――Critical thinking は、 ――批判的思考 と訳されるのが一般…

「Critical thinking」は「批判的思考」か

“確固たる内省”のできる者が、しっかりとした“自我”で、くっきりとした“自己”をとらえることができ―― その内省の力で、 ――確かな知恵 を示し、 ――巧みな技術 を施せるようになる―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 これは―― 簡単にいって…

“知識”から“知恵”を得、“経験”から“技術”を得る

――教育 について考えていると―― 以下のことが、しぜんと気になってきます。 ――知識 から、 ――知恵 を得るには、どうしたらよいか―― ――経験 から、 ――技術 を得るには、どうしたらよいか―― この2点です。 …… …… 基本的には―― これらの極意は―― おとといの『…

どれくらいの差をもって「甚だしい」と認めるか

――先達と後進との間で、“知識”や“経験”の量の差が甚だしい場合には、いくら先達が後進に対して“知恵”を示しつづけたり、“技術”を施しつづけたりしたところで、意味はない。 ということを―― きのうの『道草日記』で述べました。 ここで問題なのは―― どれくら…

教育は、“知識”を溜めさせ、“経験”を積ませるところまで

――将来、“確かな知恵”を示せるように“知識”を溜めさせ、“巧みな技術”を施せるように“経験”を積ませることが、教育の要諦である。 ということを―― きのうの『道草日記』で述べました。 これを踏まえると―― 当然ながら―― 以下の疑問に行き当たります。 ――“知識…

“確かな知恵”と“巧みな技術”と

――知恵 と、 ――技術 との話を―― 最近の『道草日記』で繰り返しています。 簡単にいうと―― ――知恵 は、 ――共感 に基づき、 ――納得 を得るものであり―― ――技術 は、 ――感嘆 をもたらし、 ――理解 を得るものである、と―― …… …… この区別は―― 医学・医療の領域に…

日本国政府の“技術”に国民は感嘆をしなかった

――新型コロナ・ウイルス感染症 は、 ――内科 の問題であるから、 ――共感にもとづく知恵 を示す必要があるが―― 同時に、 ――疫学 の問題でもあるので、 ――感嘆をもたらす技術 も施す必要がある―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ここでいう…

日本国政府の“知恵”は国民の共感を呼ばなかった

――新型コロナの話は錯綜をしやすい。 ということを―― きのうの『道草日記』で述べました。 もう少し詳しく述べると、 ――新型コロナ・ウイルス感染症 は、 ――内科 の問題なので、 ――共感にもとづく知恵 を示す必要があるが―― 同時に、 ――疫学 の問題でもある…

新型コロナの話が錯綜をするわけ

――医学・医療の“入れ子”構造 の話を―― きのうの『道草日記』で述べました。 この話は煩雑なので―― 深入りはしないことにします。 ただ、 ――医学・医療は“入れ子”構造になっているので、「医学はこうである」とか「医療はこうである」とかいった一般論は述べ…

医学・医療の“入れ子”構造

――医療の実践 は、 ――体の外側から内側へ―― と向かい、 ――医学の論理 は、 ――体の内側から外側へ―― と向かう―― ということを―― きのうの『道草日記』で述べました。 ところが―― 同じ“医療の実践”であっても―― 少なくとも表面的には―― ――内科 では、 ――体の内…

外科も内科も“体の外側から内側へ――”

――外科と内科―― の話を僕がしていると―― 「お前は複雑に考えすぎなんだ」 と叱られることがあります。 ――外科は体の外面から病気や怪我を治そうとして、内科は体の内面から病気や怪我を治そうとする――そういう理解で十分ではないか。 というのです。 たしか…

“10年先、100年先の医療”か“目の前の人の病気や怪我”か

――内科も外科も目指すところは同じである。 ということを―― きのうの『道草日記』で述べました。 簡単にいうと、 ――医学・医療の最終目標 である、 ――病気や怪我を完全に元通りに戻すこと を目指す上で、 ――まずは体の仕組みを完全に解き明かそう。 というの…

内科も外科も目指すところは同じである

――内科では“共感にもとづく知恵”が本質であり、外科では“感嘆をもたらす技術”が本質である。 ということを―― 3日前の『道草日記』で述べました。 もう少し具体的にいえば、 ――内科では“共感にもとづく知恵”を示す必要があり、外科では“感嘆をもたらす技術”…

実は「外科が本道、内科は外道――」

――我々は、まだ技術を施す段階にはない。まずは知恵を示すことに専念をしなければならない。 という医者たちの諦観が、 ――内科本道(ほんどう)、外科外道(げどう)―― の考えに繋がっていったのではないか、ということを―― きのうの『道草日記』で述べまし…

「内科本道、外科外道――」に繋がった諦観

――内科では“共感にもとづく知恵”を示す必要があり、外科では“感嘆をもたらす技術”を施す必要がある。 ということを―― きのうの『道草日記』で述べました。 よって、 ――内科本道(ほんどう)、外科外道(げどう)―― の考えは、 ――医療の本分は知恵を示すこと…