マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「Critical thinking」は「批判的思考」か

 “確固たる内省”のできる者が、しっかりとした“自我”で、くっきりとした“自己”をとらえることができ――

 その内省の力で、

 ――確かな知恵

 を示し、

 ――巧みな技術

 を施せるようになる――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 これは――

 簡単にいってしまえば、

 ――Critical thinking

 のことでしょう。

 

 英語圏の教育で重視をされている概念です。

 日本語では、

 ――批判的思考

 と訳されています。

 

 おそらく――

 この「批判的」というのは――

 誤訳とまではいいませんが――

 (あまり良い訳ではなかった)

 と――

 僕は思っています。

 

 英語の「critical」は、

 ――物事の良し悪しを評する

 といった中立的な意味のほかに、

 ――決定的ないし重大である。

 という肯定的な意味もあります。

 

 もちろん――

 日本語の「批判的」にも、

 ――物事の良し悪しを評する

 といった意味はありますから、

 ――批判的思考

 が誤訳とはいいきれないところもあるのですが――

 

 日本語の「批判的」は、どうも、

 ――物事の欠点や短所をあげつらう

 といった否定的な意味を引きずりすぎていて――

 すこぶる印象が悪いのですね。

 

 そして――

 以下が最も大きな理由と思うのですが――

 

 日本語の「批判的」には、

 ――決定的ないし重大である

 といった肯定的な意味がないのです。

 

 実は、英語の「critical」にも、

 ――物事の欠点や短所をあげつらう

 という否定的な意味はあります。

 

 つまり――

 英語の「critical」と日本語の「批判的」とで最大の違いは、

 ――決定的ないし重大である

 といった肯定的な意味の有無といえます。

 

 ……

 

 ……

 

 ――Critical thinking

 を「批判的」という言葉以外の日本語で記すとしたら――

 どうでしょうか。

 

 ――批評的思考

 は、どうでしょう?

 

 これは、「批判的思考」の難点を弱めるという点では悪くありません。

 が、弱めているだけで、難点が除かれているわけではありません。

 

 ――決定的思考

 は、どうでしょう?

 

 これは、「批判的思考」の難点が除かれるという点では悪くありません。

 が、「critical」の「物事の良し悪しを評する」という意味が隠れてしまうという点で、今ひとつです。

 

 僕は、

 ――本質的思考

 を推します。

 

 もちろん、「critical」に「本質的」という意味はありません。

 

 が――

 現代の英語圏で用いられている「critical thinking」の「critical」は、僕が感じる限り、

 ――物事の良し悪しを決定的に評する

 という意味合いを含んでいます。

 

 それならば――

 その「critical」を、

 ――物事を本質的に評する

 と訳しても許されるのではないか――

 

 そう僕は思います。