マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

狭くて暗い思考、広くて明るい思考

 ――懐疑的思考

 と、

 ――批判的思考

 との違いについて――

 僕なりに思うところを述べてきました。

 

 同じことを――

 少し言葉を変えて述べるならば、

 ――“懐疑的思考”は閉じていて、“批判的思考”は開いている。

 といえます。

 

 ここでいう、

 ――思考が閉じている

 とは、

 ――思考の材料が与えられている

 とか、

 ――与えられた材料で思考をする

 ということです。

 

 一方、

 ――思考が開いている

 とは、

 ――思考の材料を自ら探しにいく

 とか、

 ――材料を探しながら思考をする

 とかいうことです。

 

 ――懐疑的思考

 は閉じているので――

 その方向性は偏りがちです。

 

 偏った挙句――

 本来なら思考の意義に乏しいことであっても、知らず知らずのうちに、考え抜いてしまう――

 

 あるいは――

 方向性が簡単に操られてしまう、ということもあります。

 

 与えられた材料だけで思考をするので――

 その材料の取り合わせによって、思考の方向性が決められてしまうのですね。

 

 恐ろしいのは――

 うっかり油断をしていると、その方向性が決められてしまっていることに気づけない、ということです。

 

 その意味で――

 “懐疑的思考”は、狭くて暗いのです。

 

 一方、

 ――批判的思考

 は開いているので――

 方向性を自在に操ることができます。

 

 もし、“批判的思考”の方向性が偏ってしまうのなら――

 それは、たんに思考の材料の探し方が悪いということであり――

 要するに、

 ――その“批判的思考”の質が悪い。

 ということに過ぎません。

 

 もし、方向性が偏っていれば――

 そのことに気づき、材料の探し方を改め、自ら方向性を直すことも含めて考える――

 

 つまり――

 その方向性の良し悪しも含めて、

 ――批判的思考

 の成果とみなされます。

 

 その意味で――

 “批判的思考”は、広くて明るいのです。