マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“確かな知恵”と“巧みな技術”と

 ――知恵

 と、

 ――技術

 との話を――

 最近の『道草日記』で繰り返しています。

 

 簡単にいうと――

 

 ――知恵

 は、

 ――共感

 に基づき、

 ――納得

 を得るものであり――

 

 ――技術

 は、

 ――感嘆

 をもたらし、

 ――理解

 を得るものである、と――

 

 ……

 

 ……

 

 この区別は――

 医学・医療の領域に関わらず――

 人の営みの全てに関わりうる区別ではないか、と――

 僕は考えています。

 

 つまり、

 ――人の営みが生み出す知的な価値

 は、

 ――知恵

 ないしは、

 ――技術

 のどちらかを基準に評されているのではないか――

 ということです。

 

 ここで――

 見落とせないことは――

 

 ――知恵

 も、

 ――技術

 も、たんなる、

 ――知識

 や、

 ――経験

 とは異なる――

 という点です。

 

 ――知恵

 は、

 ――知識

 よりも普遍的であり、汎用性が高く、

 ――技術

 は、

 ――経験

 よりも実践的であり、実効性が高い――

 

 ……

 

 ……

 

 どちらも――

 人の営みに関わる多くの価値観を作り出しています。

 

 ――確かな知恵を示しているか。

 

 ――巧みな技術を施しているか。

 

 これら問いへの答えは――

 そのまま価値観の表出となりえます。

 

 よって――

 

 例えば――

 いわゆる、

 ――教育

 では――

 

 これら、

 ――知恵

 や、

 ――技術

 に重きを置くのがよいはずだ――

 との結論に至るのです。

 

 が――

 

 現実の教育は――

 そうはなっていなくて――

 

 どうしても、

 ――知識

 や、

 ――経験

 に重きが置かれてしまいます。

 

 これは――

 原理的には、

 ――仕方のないこと

 といえます。

 

 ――知識

 がなければ、

 ――知恵

 は示せません。

 

 

 ――経験

 がなければ、

 ――技術

 は施せません。

 

 かくして――

 

 以下の命題を得ます。

 

 ――将来、“確かな知恵”を示せるように“知識”を溜めさせ、“巧みな技術”を施せるように“経験”を積ませる。

 

 これが、

 ――教育の要諦

 でしょう。