マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

日本国政府の“技術”に国民は感嘆をしなかった

 ――新型コロナ・ウイルス感染症

 は、

 ――内科

 の問題であるから、

 ――共感にもとづく知恵

 を示す必要があるが――

 同時に、

 ――疫学

 の問題でもあるので、

 ――感嘆をもたらす技術

 も施す必要がある――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ここでいう、

 ――共感にもとづく知恵

 とは――

 具体的には、

 ――各国の政府が国民に向かって発する声明の内容

 である、ということも――

 述べました。

 

 では、

 ――感嘆をもたらす技術

 とは何か――

 

 それは、

 ――各国の政府による効率的で効果的な諸機関の動員

 です。

 

 日本国政府は――

 いわゆる、

 ――クラスターつぶし

 と呼ばれる発想にもとづき――

 集団感染の一群をできるだけ早く見つけ出すことによって、それら感染者の一群が新たな感染者を生むことがないように、隔離をしていく対応策をとりました。

 

 他方――

 この“クラスターつぶし”に直に関わらない対応策については、できるだけ人手や手間や時間をかけないような方針をとりました。

 

 その狙いは、“クラスターつぶし”の効率や確度を最大限に高めるためです。

 

 この対応策の実施は、

 ――技術

 です。

 

 ――政治家

 としての“技術”――

 あるいは、

 ――執政官

 としての“技術”です。

 

 どの官公庁に、いつ、どんな言葉で指示を発するか――

 指導者としてのセンスが露骨に反映をされる“技術”です。

 

 この“技術”は――

 ある程度は鮮烈に施されたと感じます。

 

 が、

 ――感嘆をもたらす――

 というところまで鮮烈ではありませんでした。

 

 そもそも――

 指導者の役を誰が担っているのかが、外部には伝わってきませんでした。

 

 日本で爆発的な感染拡大が起こらなかったとみなせうることは――

 この“クラスターつぶし”が奏功をしたためと一部の報道機関は伝えましたが――

 その功績を国民の総意で祝福するという雰囲気は、ほとんどありませんでした。

 

 この“技術”の責めを一身に追うべきは――

 やはり、

 ――国家の主治医

 である、と――

 僕は考えます。

 

 ――国家の主治医

 とは、5月4日の『道草日記』で述べた官職のことです。

 

 例えば、新型コロナ・ウイルス感染症への対応策を短期間でまとめ、政権の首班に説き、裁可を仰ぐ――

 そういう役割を担う官職です。

 

 その役割を担うのは――

 日本国の現行の制度では、

 ――政権の首班

 か、

 ――閣僚級の政治家

 であることが理想なのでしょう。

 

 が――

 ことは疫学や内科の問題です。

 

 疫学の高度な理解や広範な知識――そして、内科の豊富な経験や深遠な見識――が必要とされます。

 その上で、各種官公庁の機能を瞬時にかつ十全に引き出す力量――つまり、“執政官”としての力量――が問われます。

 

 ――国家の主治医

 でなければ、なかなか担えない役割といえます。