――新型コロナの話は錯綜をしやすい。
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
もう少し詳しく述べると、
――新型コロナ・ウイルス感染症
は、
――内科
の問題なので、
――共感にもとづく知恵
を示す必要があるが――
同時に、
――疫学
の問題でもあるので、
――感嘆をもたらす技術
も施す必要がある――
ということです。
――新型コロナ・ウイルス感染症
の場合、
――共感にもとづく知恵
というのは――
具体的には、
――各国の政府が国民に向かって発する声明の内容
に結実をします。
日本国政府は、
――新型コロナ・ウイルス感染症の封じ込めは、軽症者が多いという事実から、不可能といえる。よって、封じ込めは試みない。が、そのままでは爆発的な感染拡大が起こり、医療崩壊に至り、本来ならば感染死を免れうる人たちまでもが数多く亡くなりうるので、爆発的な感染拡大は断固、防ぐことにする。
という“知恵”を、かなり早期の段階で――遅くとも2020年2月頃には――報道機関へのリークなども含め、明らかにしていました。
この“知恵”は十分に的を射ていました。
が――
惜しむらくは、
――共感にもとづく知恵
ではなかった――
その“知恵”は――
現代日本の医学・医療の現状や限界を深く知っている人でもない限り――
頭ではわかっても、心から許せるような結論ではありませんでした。
その点を日本国政府が読み切れなかったことは、ほぼ間違いないでしょう。
その後、日本国政府の新型コロナ・ウイルス感染症への対応策は、総論・各論ともに厳しい批判を受けました。
それら批判の根底にあったのは、
――共感の欠如
です。
新型コロナ・ウイルス感染症への対応策が高く評された国の多くは――
政府の声明が国民の共感を呼んだのですね。
日本国政府の声明は、国民の共感を呼ぶという点については、かなり物足りなかったといえます。
実は――
一部の医療従事者たちには、深い共感を呼んだのです。
――今の政府は、なかなかいいところを突くじゃないか。
といった声が上がっていました。
が――
大多数の国民からは、
――はあ?
といった疑念が先立つような声明でした。
――真面目に仕事をする気があるのか。
と――
……
……
現在――
日本国政府は、報道機関に対し、
――国民の共感が得られるように努める。
との姿勢を明らかにしているようです。
けっこうなことだと思っています。