マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

その答えは「PCR検査を増やす」ではない

 いわゆる新型コロナ・ウイルス感染症に関して――

 日本国では、PCR(polymerase chain reaction)検査の実施数の少なさが、ここ数か月間ずっと問題になっています。

 

 この問題は1つの単純な問題ではありません。

 幾つかの問題が――おそらくは複雑に――絡み合った複合体の問題です。

 

 その絡み合った問題のうちの1つが、

 ――心の問題

 です。

 もう少し具体的にいえば、

 ――不安感情の問題

 です。

 

 例えば、 

 ――自分が新型コロナ・ウイルスに感染してるかどうかが心配だ。

 とか、

 ――もしも感染してたら、あすにでも重症化して死んでしまうかも!

 あるいは、

 ――もしも感染してたら、私が大切にしてる人に、うつしてしまう!

 といった不安感情です。

 

 こうした感情から逃れるために――

 PCR検査を切望する人たちが少なからずいます。

 

 この問題は重要です。

 “心の問題”であるからといって、決して看過してよい問題ではありません。

 

 では――

 この問題を解決するには、どうすればよいのか――

 

 ……

 

 ……

 

 答えは、

 ――PCR検査を増やす。

 ではありません。

 ――収容施設を増やす。

 です。

 

 もう少し詳しくいえば、

 ――「もしも感染してたら……!」と不安に思う人たちが残らず隔離されうる専用の収容施設を用意する。

 です。

 

 ――もしも感染してたら……!

 の“心の問題”に対し――

 PCR検査は無力です。

 

 例えば――

 PCR検査を受け、仮に「陰性」と判定されても――

 その結果には、ほとんど意味がないといえます。

 

 PCR検査の感度――すなわち、感染者を「感染者である」と判定する確率――は、高く見積もっても、70%くらいです。

 いったん「陰性」と判定された後に「陽性」と判定される事例が後を絶たないので、ひょっとすると感度は30%くらいかもしれません。

 そのような検査で「陰性」と判定されても、安心できる人は稀でしょう。

 PCR検査の感度を100%――あるいは、95%以上――と誤解しているような人でもない限り、

 ――もしも感染してたら……!

 の“心の問題”から解放されることは決してないのです。

 

 この問題と直に向き合うには――

 新型コロナ・ウイルス感染症の根治療法が確立されていない現状では――

 ――しかるべき収容施設に隔離された上で、経過を慎重に観察する。

 という以外にありません。

 

 もちろん――

 その「しかるべき収容施設」とは――

 医師をはじめとする医療従事者らが常駐をしていて、重症化の兆しがみえたら、すぐに専門の医療機関へ移り、手厚い対症療法を――例えば、人工呼吸器や人工心肺の使用も視野に入れた対症療法を――開始できるような施設です。

 

 そういう施設に隔離されるのでなければ、

 ――もしも感染してたら……!

 の不安を和らげることは原理的に不可能です。

 

 ……

 

 ……

 

 残念ながら――

 今の日本国では――

 そうした収容施設を用意することは不可能であるようです。

 

 4月5日や4月6日の『道草日記』で――

 僕は、

 ――新型コロナ・ウイルス感染症のような軽症者の多い感染症に対しては、日本国の場合、1日あたり10万人は隔離できるくらいの収容施設が必要であろう。

 と述べました。

 

 隔離する期間を10~30日と見積もると、単純計算で、

 ――1日あたり100万~300万人分の収容施設

 が必要といえます。

 

 ――そんな数を用意するのは不可能だ。

 という向きは多いでしょう。

 

 昨今の日本国政府の声明や動向を踏まえ限り、

 (たしかに不可能なのだろう)

 と、僕も思います。

 

 が――

 だからといって、

 ――PCR検査を増やせ。

 ということにはならない――それは少し的外れの答えであるように、僕には思えます。

 

 PCR検査の実施数を増やすのは――

 残念ながら、今の日本国の医療体制――検査体制を含む医療体制――では不可能なのです。

 少なくとも、“1日あたり100万~300万人分の収容施設”を用意するのと同じくらいに不可能であるはずです――

 なぜならば――

 このようなウイルス感染症による危機的事態が、諸外国と違い、ほとんど全くといってよいほどに想定されていなかったからです。

 

 そして――

 何よりも大切なことは――

 PCR検査は感度が30~70%くらいなので、仮に「陰性」と判定されても、

 ――もしも感染してたら……!

 の不安から解放されることは決してない、という現実です。

 

 (この現実は重い)

 と、僕は感じます。

 

 ――PCR検査を増やす。

 も

 ――収容施設を増やす。

 も、どちらも同じように不可能であるならば――

 その不可能を可能にする奮闘は――

 より意義の感じられる方向でするしかないはずです。

 

 どちらの意義が、より感じられるか――

 

 その答えは明らかです。