マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“国家の主治医”が踏むべき手順

 疫病が蔓延しかかっているときに、政府が素早く政策を講じるには、

 ――国家の主治医

 ともいうべき官職にある医師が重要な役割を果たしうるはずだ、ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 その際に――

 日本のような民主主義の国家では――

 1つ注意するべきことがあります。

 

 それは――

 いくら“国家の主治医”とはいえ、有権者の総意に反するような政策を無理強いすることは許されない――

 ということです。

 

 たとえ、どんなに医学的に合理的な――つまり、公衆衛生学的ないし疫学的には理に適った――政策であっても、民意の支持が得られなければ、施行されるべきではありません。

 例えば、“国家の主治医”が政権首班やその側近らのみを説き伏せ、そのほか多くの有権者らの意向を無視するようなことは、あってはならないのです。

 

 理想論をいえば――

 “国家の主治医”は、次のような手順を踏むことです。

 

 1)医学的に合理的な政策を2つ3つ立案する

 2)それら政策を政権首班らに説く

 3)政権首班らが聞いた説明の内容は有権者らにも広く公開される

 4)有権者の総意を汲みとり、政権首班が政策を1つ選んで施行する

 

 もし――

 “国家の主治医”が、政権首班らと“密室”で協議して政策を決めてしまったなら――

 それは、

 ――医療における父権主義

 の再来です。

 

 “医療における父権主義”の可否は――

 1980年代から1990年代にかけて盛んに議論をされました。

 

 が――

 昨今では、ほとんど議論はされません。

 

 結論が出ているからです。

 

 ――“医療における父権主義”は益よりも害のほうが大きい。

 という結論です。

 

 診断を理解し、治療の方針を最終的に決定するのは患者自身であり――

 その過程を助けるのが医師の役割である――

 ということに、今日ほとんど異論はきかれません。

 

 その象徴として――

 例えば、がんの告知があります。

 

 1990年代くらいまでは、

 ――患者が心理的負担に耐えられないのではないか。

 との理由で、がんの告知を控える医師が珍しくありませんでしたが――

 2010年代以降、そのような医師をほとんどみかけなくなりました。