そんな議論を――
10年ほど前に――
僕より半周りほど若いアメリカ人の男性と――
したことがあります。
彼の主張は明快でした。
――もちろん正当性はある。独裁者に抑圧されている国民は救わなければならない。
それに対し――
僕は、
――国民が本当に独裁者に抑圧されているかどうかが問題だ。その独裁者による専制主義的な支配を、国民は実は望んでいるかもしれない。
と反論しました。
すると、彼は、
――仮に国民が専制主義的な支配を望んでいたとしても、独裁者が国民の人権をないがしろにしていれば、そういう国家は転覆させなければならない。人権の尊重は普遍的な概念だ。
といいました。
僕は、
――国家と政権とは区別しなければならない。政権の転覆はよくても、国家の転覆はよくない。何より、民主主義の考え方によれば、政権の是非を決めるのは、その国家の国民であって、他の国家の国民ではない。
といいました。
すると――
彼は、次のように反論しました。
――国民が政権を転覆させられるのは、あくまで民主主義国家においてのみで、専制主義国家では無理だ。専制主義的な支配が終わったあとは、その国家の国民に全てを委ねるべきだが、終わるまでは、他の国家が請け負うしかない。
……
……
結局――
議論は平行線に終わったのですが――
……
……
きのう――
(そうか。あの時、こういえばよかったのか)
と――
ふと思いました。
すなわち、
と――
……
……
要するに――
僕が、10年ほど前の議論でいいたかったことは、
――たとえ、どんなに酷い専制主義国家であっても、自分たちの国家が他に国家によって転覆させられたら、国民は、いつまでも恨みに思うものである。
であったのですね。
そのことに――
ふと気がつきました。