この国のいわゆるPCR(polymerase chain reaction)検査の問題は、単純な1つの問題ではなく、幾つかの問題が複雑に絡み合った複合体の問題である――
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
複雑に絡み合っている幾つかの問題のうちの1つが、
――不安感情の問題
である――
とも述べました。
すなわち、
――感度が不十分なPCR検査では、「もしも感染してたら……!」の不安感情を和らげることはできないので、「PCR検査を受けたい!」という世論が強まっても、医療現場の人たちの多くが、PCR検査の実施に、なかなか前向きにはなれなかった。
ということです。
では――
「PCR検査の問題」という複合体には――
他に、どんな問題が絡んでいるでしょうか。
……
……
その1つについては――
きのうの『道草日記』で、実は少し述べています。
――体制不備の問題
です。
この国は――
残念ながら――
未知のウイルス感染症が蔓延しかかるような状況に適応しうる体制を十分には備えていませんでした。
よって――
今年のはじめに、いわゆる新型コロナ・ウイルス感染症が日本国内で蔓延しかかったとき――
その未知の感染症に特化して対応する医療資源や医療人材を十分に確保していませんでした。
現行の医療体制の中では――
おそらく、ほとんどの医療従事者が、未知の感染症が出現した際に、日頃の自分たちの業務を止め、その未知の感染症に対応する、という事態を想定していませんでした。
それは、
――医療従事者の怠慢
あるいは、
――医療行政を司る政府当局の怠慢
といえるのかもしれません。
が――
それは、あくまでも、
――過去の怠慢
です。
それを今いっても仕方がない――あとの祭りにすぎないのです。
国家規模の医療体制の改変や拡充は――
数か月単位では無理です。
数か年単位で取り組む必要があります。
つまり――
今般の新型コロナ危機には間に合わない――それが現実です。
なぜか、ほとんど報道されていませんが――
この数か月間、
――もっと他にやらねばならないことが山ほどあるのに、なぜ今、PCR検査なのか!
という医療現場の声を――
僕は、たびたび耳にしました。
――「もしも感染してたら……!」の不安感情は、よくわかる。よくわかるが……残念ながら、その気持ちを和らげて差し上げることはできない。だから、PCR検査はやらない。「それでもやってくれ」という要求があることは、今回よくわかった。よくわかったが……残念がら、今の医療体制では、その余裕がない。他にやらねばならないことが山ほどあるからだ。
そういう声です。
もちろん――
多くの人たちが直感しているように――
単にPCR検査の実施数を短期間に増やすことだけならば、どうにかしてできたでしょう。
発想としては簡単なのです。
医療には経済活動の一面があります。
よって――
例えば、PCR検査の実施に経理的な利点を付与すればよかった――PCR検査をやればやるだけ、医療機関や検査施設が十分な収益を手にするような制度を、緊急で導入すればよかったのです。
経営に苦しむ民間の医療機関や検査施設の一部は――
それまでの自分たちの業務をなげうってでも、とびついたはずです。
が――
そんなことになれば――
PCR検査は、おそらく安全には実施されなかったでしょう。
馬の鼻先にニンジンをぶら下げるようなやり方は、実効性や速効性を期待できますが――
検査の実施それ自体は、どうしても不用意となります。
不用意なPCR検査は、二次感染を多発させる危険性があります。
何よりも――
PCR検査以外の業務が手薄になって医療体制の一端に綻びが生じえます。
新型コロナ・ウイルス感染症が蔓延しかかっているような緊張のある状況で、医療体制の一端に綻びが生じたら――
それは、あっという間に医療体制全体の綻びとなって、いわゆる医療崩壊を起こしたでしょう。
ここでいう、
――医療崩壊
とは、
――医療機関や検査施設の機能の多くが麻痺し、本来なら普通に実施されていた業務が実施されなくなる状況
です。
新型コロナ・ウイルス感染症に限らず、本来なら救いうる人たちが数多く亡くなる事態です。
つまり――
ここでも、答えは、
――PCR検査を増やせ。
ではないのです。
強いていえば――
答えは、
――増やす前に、増やす準備をせよ。
です。