疫病への対応を簡潔に述べるなら、
――変化を正確に把握し、反応を的確に制御する。
となるでしょう。
ここでいう「変化」や「反応」は――
一昨日や昨日の『道草日記』で触れた4分割表、
個体 生態
変化 ⑤ ⑥
反応 ⑦ ⑧
にある「変化」や「反応」のことです。
以下――
この4分割表に即して疫病への対応を述べますと――
まずは「⑤」です。
その疫病に罹患したら、どんな症状・徴候が出て、どんな気持ちになるのか――あるいは、どれくらいの率で重症ないし重篤となりうるのか――を正確に把握する――
次いで「⑥」です。
その疫病の広がり具合を正確に把握する――例えば、一人の罹患者が何人に伝染させうるのかを、統計的に偏りの出ない手法で、なるべく精密に見積もる――
次いで「⑦」です。
その疫病に罹患した人たちが、どんな発言をし、どんな行動をとりうるかを予想し、好ましくない言動には警告を与え、好ましい言動は推奨をしていく――
次いで「⑧」です。
その疫病の広がり具合に応じ、どこまで普段の医療を疫病対策に特化させるかを、および、どこまで普段の社会活動に制限を加えるかを、判断していく――
以上の通りとなります。
……
……
大切なのは――
「⑤」「⑥」「⑦」「⑧」を混同しないことです。
とくに「⑤」と「⑥」とを混同しない――
とくに「⑤」と「⑦」とを混同しない――
とくに「⑥」と「⑧」とを混同しない――
とくに「⑦」と「⑧」とを混同しない――
ということです。
これらを混同していたら――
容易に収束させられる疫病でも、一向に収束させられないでしょう。
今般の新型コロナ・ウイルス感染症についていえば――
いわゆるPCR(polymerase chain reaction)検査の意義を巡って、「⑤」と「⑥」と、および「⑤」と「⑦」とが混同されました。
当初は「⑤」の変化を正確に把握するため――つまり、新型コロナ・ウイルス感染症の診断を確定させるため――という意味付けであったはずですが――
いつの間にか、「⑥」の変化を正確に把握するためという意味付けと混同され始め――
しだいに、「⑦」の反応の格好の標的となり、その反応が「⑤」の変化と混同され始め――
最終的には、
――“PCR検査”要不要論
という不毛な議論で世論が二分されました。
これを防ぐには、どうするべきであったか――
最初から、「⑤」とは別に、「⑥」の意味付けで、PCR検査を行うと決めておくことでしょう。
あらかじめ統計的に偏りのない母集団を設定しておき、いざ疫病が蔓延し始めたと思われた時点で、「⑥」の変化を正確に把握するためだけに、PCR検査を躊躇なく実施する――被験者は、感染が疑われようが疑われまいが、定点観測と割り切って、淡々とPCR検査を受けていく――
当然、PCR検査が余計な感染を生まないように、安全面には十分に配慮をする――そして、検査の精度の悪さがもたらす誤差は、事前に十分に見積もっていく――
そういう体制をとっておけばよかった、ということになります。