――疫病のロックダウン(lockdown)は、“疫病による直接の変化”に対し、“疫病の制御に好都合な反応”を狙って行われるが、しばしば、好都合な反応を上回る不都合な反応をきたしかねない。
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
同じことを、
個体 生態
変化 ⑤ ⑥
反応 ⑦ ⑧
の4分割表を用いて述べますと、
――疫病のロックダウンは、⑥の変化に対し、⑧の反応のうちの好都合なものを狙って行われるが、しばしば好都合な反応を上回る不都合な反応をきたしかねない。
となります。
さらにいえば――
――⑤の変化や⑦の反応の不確実性を高める。
と述べることもできます。
この場合の「不確実性」とは――
簡単にいうと、
――普段なら無視できるくらいの確率でしか発生しない問題が発生する確率
です。
ロックダウンによって――
「社会」という生態に着目をすれば――
たしかに、感染の拡大は抑えられ、感染死は減るでしょう。
が――
「個人」という個体に着目をすれば――
かえって病的な気持ちになるとか、過激な言動に走りやすくなる、ということが起こりえます。
もちろん――
個人の多くは、ロックダウンによっても、病的な気持ちになることもなく、また、過激な言動に走ることもないのですが――
そのような気持ちや言動が、ロックダウンによって、ある一定の割合で増えてしまう、という現実は――
認めざるをえません。
つまり――
ロックダウンについて、
個体 生態
変化 ⑤ ⑥
反応 ⑦ ⑧
の4分割表に即して述べますと――
――疫病のロックダウンは、⑥の変化に対し、⑧の反応のうちの好都合なものを狙って行われるが、好都合な反応を上回る不都合な反応をきたしかねないだけではなくて、⑤の変化や⑦の反応の不確実性を高めてしまう。
ということであり――
それは――
つまり、
――疫病のロックダウンは、「社会」という生態に着目をすれば、強い副作用を伴う劇薬の1つといえるが、「個人」という個体に着目をすれば、深刻な攪乱因子の1つでしかない。
ということです。
あえて――
平たくいえば、
――世の中、ロックダウンの恩恵に与(あずか)れる人たちばかりではない。なかにはロックダウンの責苦に苛(さいな)まれる人たちが一定の割合でいる。
ということです。