マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

新型コロナの話が錯綜をするわけ

 ――医学・医療の“入れ子”構造

 の話を――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 この話は煩雑なので――

 深入りはしないことにします。

 

 ただ、

 ――医学・医療は“入れ子”構造になっているので、「医学はこうである」とか「医療はこうである」とかいった一般論は述べにくい。

 ということが感じられたら――

 それで十分です。

 

 さて――

 

 ……

 

 ……

 

 いわゆる、

 ――新型コロナ・ウイルス感染症

 の問題は――

 医学・医療の観点からは、どのようにとらえるのがよいでしょうか。

 

 ――医療の実践

 という括(くく)りでいえば――

 この問題は、

 ――内科

 です。

 

 が、

 ――医学の論理

 という括りでいえば――

 この問題は――

 少なくとも第一義的には、

 ――疫学

 でとらえるのがよいでしょう。

 

 ――内科

 ですから――

 ――学

 の様相の濃い“医療の実践”が求められ――

 

 ――疫学

 ですから――

 ――芸

 の様相の濃い“医学の論理”が求められます。

 

 つまり、

 ――“学”らしい“芸”と“芸”らしい“学”との対象

 が、

 ――新型コロナ・ウイルス感染症

 といえます。

 

 よって――

 医学・医療の観点から、

 ――新型コロナ・ウイルス感染症

 の問題に対し、どのように取り組むのがよいのか、という話は、

 ――医学・医療の“入れ子”構造

 が念頭になければ――

 容易に錯綜をしてしまいます。

 

 ――内科

 の問題ですから、

 ――感嘆をもたらす技術

 ではなく、

 ――共感にもとづく知恵

 を示す必要があります。

 

 が、

 ――疫学

 の問題ですから、

 ――共感にもとづく知恵

 を示してばかりいてはダメで、

 ――感嘆をもたらす技術

 を施す必要もあります。

 

 ただし――

 そもそもの前提として――

 

 ――内科

 は、

 ――医療の実践

 ですから、

 ――感嘆をもたらす技術

 を無視はできませんし――

 

 ――疫学

 は、

 ――医学の論理

 ですから、

 ――共感にもとづく知恵

 も無視はできません。

 

 かくして――

 

 ――新型コロナの話は、わけわからん!

 ということになってしまいます。

 

 もう少し具体的にいうと、

 ――新型コロナ・ウイルス感染症の対策において、最も本質的かつ決定的なことが何なのかは、とてもわかりにくい。

 との印象が強まるのです。