マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“批判的思考”を扱わない3つめの理由

 現代日本の学校教育は、しばしば、

 ――批判的思考を扱わない。

 と非難をされる――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 その理由として、

 ――教員や児童・生徒の保護者の多くが“批判的思考”に慣れていない。

 ということ――

 および、

 ――「批判的思考」の言葉の響きが的外れの嫌悪感を誘いがちである。

 ということの2つを挙げました。

 

 実は――

 もう1つ理由がある、と――

 僕は考えています。

 

 そして――

 その3つめの理由が、意外に大きいのではないか、と――

 

 ……

 

 ……

 

 どういう理由か――

 

 ……

 

 ……

 

 3日前の『道草日記』で、

 ――批判的思考

 の要点は、

 ――前提の設定

 と、

 ――結論の導出

 とにあって、

 ――論理の展開

 にはない――

 ということを述べました。

 

 よって――

 教育の素材として“批判的思考”を扱うときには、

 ――どのような前提を設けるのか。

 と、

 ――どのような結論を導くのか。

 との2つに重点が置かれることになる、とも――

 

 具体的には――

 考えの出発点として――

 どんな事実を認め、どんな事実を認めないのか――どの原理に目をつけ、どの原理に目をつけないのか――どんな仮定を用い、どんな仮定を用いないのか――

 であり――

 考えの終着点として――

 どんな主張を掲げ、どんな主張を掲げないのか――どんな見解を受け入れ、どんな見解を受け入れないのか――どんな仮説を示し、どんな仮説を示さないのか――

 である――

 と――

 

 3日前の『道草日記』で述べたように――

 ――前提の設定

 と、

 ――結論の導出

 との間を埋めるのは、

 ――論理の展開

 です。

 

 が、

 ――批判的思考

 の要点に、

 ――論理の展開

 は含まれません。

 

 よって――

 教育の素材として“批判的思考”を扱うときには、

 ――どのように論理を広げるのか。

 に重点は置かれません。

 

 ――“論理の展開”は、すでに習得をされている。

 とみなされるからです。

 

 が――

 実際のところ、“論理の展開”は、少なくとも平均的な小・中学生や高校生にとっては、そんなに易しくないのですね。

 

 習得には、けっこう時間がかかります。

 

 それゆえに――

 現代日本の学校教育では、

 ――批判的思考

 が良質な題材とみなされないのではないか、と――

 僕は考えています。

 

 ――批判的思考

 よりも、まずは、

 ――論理の展開

 に慣れるのがよい――

 

 ――批判的思考

 は、

 ――論理の展開

 が、ある程度こなせるようになってからでよい――

 

 そういう判断になるのだと思います。