マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

どれくらいの差をもって「甚だしい」と認めるか

 ――先達と後進との間で、“知識”や“経験”の量の差が甚だしい場合には、いくら先達が後進に対して“知恵”を示しつづけたり、“技術”を施しつづけたりしたところで、意味はない。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ここで問題なのは――

 どれくらいの差を、

 ――甚だしい

 と認めるか――

 です。

 

 きのうの『道草日記』では、ひとまず成人と幼児との差を引き合いに出しましたが――

 実際は、どうでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 なかなかに難しい判断だと思います。

 

 人によっては、

 ――成人と高校生との差

 というでしょう。

 

 ――成人と小学生との差

 という人もあるでしょうし――

 

 ――成人と未就学児との差

 という人もあるでしょう。

 

 あるいは、

 ――成人と成人との差

 にも、ときには、

 ――甚だしい

 と認められる場合がある――

 と考える人だって、あるでしょう。

 

 ……

 

 ……

 

 僕は、

 (画一的には認めないのがよい)

 と考えています。

 

 その差は――

 後進の個性や能力をよく見極めた上で、個々に判断をするのがよい、と――

 

 ……

 

 ……

 

 裏を返すと――

 

 その差を冷静に見極めるのが先達の重要な役割である、と――

 僕は考えています。

 

 その辺の見極めを通り一遍に済ませようとする先達は――

 たぶん、後進の教育には向いていません。