大人の“教育”――あるいは、そんなに幼くはない子どもの“教育”――では、
――教わり育とう!
と思い始めていない者は“教育”の対象から外す必要があると――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
この主張に基づくならば――
大人の“教育”を行う機関――大学や大学院、短期大学、専門学校など――への入学者の選抜では、1つの明確な指針を示せます。
それは、
――教わり育とう!
と思い始めているか否かに即して入学の可否の判断を行う――
という指針です。
あきらかに教わり育とうとしている志願者の入学のみを認め――
そうでない志願者の入学は認めない――
ということです。
では――
どうすれば、教わり育とうとしている者と、そうでない者との違いを見出せるのか――
志願の動機を面談や作文などで述べさせればよいのか――
……
……
志願の動機を縷々述べせたところで、教わり育とうしているか否かはわかりません。
人は、その気になれば、いくらでも上手な嘘がつけます。
では、どうするか――
……
……
実際に、教わり育とうとするところをみればよいのです。
つまり――
入学志願者に実際に教わらせ――
その結果、しっかりと育ったかどうかをみきわめるのです。
こうしたみきわめを徹底的に行うには――
ちょっと風変わりな入学試験を課す必要があるかもしれません。
具体的には――
2019年3月19日の『道草日記』で触れた、
――議論参加式
の入学試験や――
2019年3月20日の『道草日記』で触れた、
――企画関与式
の入学試験です。
が――
わざわざ風変りな入学試験を行わなくても――例えば、旧来の“多肢選択式”や“空欄補充式”、“文章論述式”の入学試験であっても――行い方に工夫を施せば、
――教わり育とう!
と思い始めているか否かのみきわめは可能です。
……
……
この続きは、あす――