マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

現代アメリカの学校教育における“プレゼンテーション”の弊害

 現代日本の学校教育における、

 ――“ペーパーテスト”の弊害

 は――

 その“ペーパーテスト”が、子どもたちに、

 ――“批判的思考”の真似事の真似事

 を強いている点に如実に現れている――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――“批判的思考”の真似事

 ですらなく、

 ――“批判的思考”の真似事の真似事

 である――

 という点が深刻です。

 

 では――

 現代アメリカの学校教育は、どうなのか――

 

 現代アメリカの学校教育では、

 ――ペーパーテスト

 ではなく、

 ――プレゼンテーション(presentation)

 に重きが置かれているので、子どもたちは“批判的思考”の鍛錬が十分にできている――

 といえるのかどうか――

 

 ……

 

 ……

 

 必ずしも、そうとはいえないようです。

 

 アメリカで生まれ育ち、そこで高等教育まで受けた人が教えてくれました。

 「アメリカの教員たちが、なぜ、あれほどまでに“プレゼンテーション”にこだわっているのかが、私にはわからない」

 

 その人は、アメリカの大学や大学院に進み、学会発表などで真の“プレゼンテーション”の体験を繰り返したことで、

 ――“プレゼンテーション”が、こんなにも面白いとは!

 と驚いたそうです。

 

 裏を返すと、

 ――学校での“プレゼンテーション”は、とても退屈だった。

 ということです。

 

 なぜ退屈だったのか。

 

 おそらく――

 それが、

 ――“批判的思考”の真似事

 にとどまっていたからでしょう。

 

 現代アメリカの学校教育といえども――

 そこでの“プレゼンテーション”は、題材や主題が教員たちによって定められています。

 

 子どもたちは、教員たちの指導の下、物事を詳しく調べ、詳しく考える機会を得るために、“プレゼンテーション”をこなします。

 

 つまり――

 現代アメリカの学校教育でも――

 子どもたちは、

 ――前提の設定

 や、

 ――結論の導出

 に、しっかりと踏み込めてはいなく――

 事実上、

 ――“前提の設定”の追認

 や、

 ――“結論の導出”の再現

 にとどまっている――

 つまり、

 ――“批判的思考”の真似事

 にとどまっている――

 ということですね。

 

 このことをもって、

 ――現代アメリカの学校教育における“プレゼンテーション”の弊害

 とみなしている人も――

 決して少なくはないのだそうです。

 

 それでも――

 

 現代日本の学校教育が、

 ――“批判的思考”の真似事の真似事

 に陥っていることを考えれば――

 

 現代アメリカの学校教育は、

 ――だいぶ、マシである。

 とはいえるでしょう。