マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“批判的思考”の真似事の真似事

 現代アメリカの学校教育では、

 ――プレゼンテーション(presentation)

 に偏っていて――

 現代日本の学校教育では、

 ――ペーパーテスト

 に偏っている――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 この違いは――

 おそらくは――

 学校教育で、

 ――批判的思考

 に重きを置いているか否かの違いでしょう。

 

 “プレゼンテーション”では、常に、

 ――前提の設定

 と、

 ――結論の導出

 との経験が積めるので、

 ――“批判的思考”の格好の鍛錬

 となりえます。

 

 が――

 “ペーパーテスト”では――

 そうはいきません。

 

 子どもたちが“ペーパーテスト”で詰める経験は――

 せいぜい、

 ――“前提の設定”の追認

 や、

 ――“結論の導出”の再現

 くらいです。

 

 いわば、

 ――“批判的思考”の真似事

 の経験です。

 

 裏を返すと、

 ――“ペーパーテスト”では、出題者が“前提の設定”と“結論の導出”とを行っている。

 ということでもあります。

 

 つまり――

 “ペーパーテスト”は、出題者にとって、

 ――“批判的思考”の格好の鍛錬

 となっているのです。

 

 よって――

 現代日本の学校教育の現場では、ときどきペーパーテストに熱心な教員たちの姿がみられますが――

 それら教員たちは、

 ――自分自身の“批判的思考”の鍛錬に熱心である。

 ということができます。

 

 このことを、どう捉えるのがよいのか――

 

 ……

 

 ……

 

 ――現代日本の学校教育では、教員たちが“批判的思考”の鍛錬を行っている。この鍛錬によって、子どもたちをより良く導くことができているのだ。

 と強弁をすることはできるかもしれません。

 

 が――

 現代日本の学校教育で行われている“ペーパーテスト”では、出題範囲が国の検定を経た教科書によって定められていることを見過ごすわけにはいきません。

 

 教員たちが“前提の設定”や“結論の導出”を自由に行っているわけではないのです。

 

 その意味で――

 現代日本の学校教育において、“ペーパーテスト”に熱心な教員たちは、本当の意味で“批判的思考”の鍛錬に勤しんでいる、とはいえません。

 

 それは――

 厳密には、

 ――“批判的思考”の真似事

 です。

 

 以上を踏まえるならば――

 現代日本の学校教育で“ペーパーテスト”を受けている子どもたちは――

 実は、

 ――“批判的思考”の真似事

 ですらなく、

 ――“批判的思考”の真似事の真似事

 をしていることになります。

 

 この点に、

 ――現代日本の学校教育における“ペーパーテスト”の弊害

 が凝集をしている――

 といえそうです。