マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

その差は“五十歩百歩”にすぎない

 現代アメリカの学校教育が、

 ――教員たちの管理下の“プレゼンテーション(presenation)”

 に偏っていて、

 ――“批判的思考”の真似事

 にとどまっている一方――

 現代日本の学校教育が、

 ――教科書に縛られる“ペーパーテスト”

 に偏っていて、

 ――“批判的思考”の真似事の真似事

 に陥っている――

 ということを――

 きのう・おとといの『道草日記』で述べました。

 

 学校教育の話をすると、たまに、

 ――アメリカは素晴らしい。日本はダメだ。

 といって嘆く人がいますが――

 

 実際には――

 両国の差は、

 ――“批判的思考”の真似事

 と、

 ――“批判的思考”の真似事の真似事

 との差であるといえますから――

 

 まさに、

 ――五十歩百歩

 です。

 

 ……

 

 ……

 

 ところで――

 どうして、こうなってしまうのか――

 

 ……

 

 ……

 

 ひょっとすると――

 学校教育の方法論それ自体に、問題があるのかもしれません。

 

 ――どうやっても“批判的思考”は扱えない。

 という根本的な問題が――

 学校教育には潜んでいるのかもしれません。

 

 ……

 

 ……

 

 もし、そうだとしたら――

 その原因は何でしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 僕は――

 学校教育に普遍的にみられる、

 ――多対1

 の様式に原因があるのではないか、と――

 思っています。

 

 どの国の学校教育でも――

 教員1~2人に対し、10~30人くらいの子どもたちがいます。

 

 この様式にこそ、限界があるのではないか、と――

 

 ……

 

 ……

 

 では、どうするか――

 

 ――多対1

 が問題なら――

 事実上、

 ――多対多

 もしくは、

 ――1対1

 しかありません。

 

 ――多対多

 では、子どもたちと同じ人数だけ教員が必要になります。

 現実的ではありません。

 

 ならば、

 ――1対1

 しかない――

 

 つまり――

 それは、

 ――親が我が子を1対1で導く。

 ということです。

 

 この辺の問題意識を突き詰めていくと、

 ――ホーム・スクーリング(Homeschooling)

 に辿り着きます。

 

 学校には行かず、家庭で学校教育に値する教育を行う――

 という方法論です。

 

 現代アメリカでは、ホーム・スクーリングが盛んになってきているそうです。

 

 現代日本よりも遥かに“批判的思考”に重きが置かれているはずの現代アメリカでさえも――

 学校教育が見放され始めている――

 

 現代アメリアの学校教育と現代日本の学校教育との差は、

 ――五十歩百歩

 にすぎないといえる理由が――

 ここにもあります。