――学校教育では“批判的思考”を十分に扱えないので、ホーム・スクーリング(homeschooling)に行き着く。
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
ただし――
ホーム・スクーリングにも難点はあります。
1つは、
――教員の確保
です。
家庭教師を雇えば、ふつうの家庭では支払いきれないような、膨大な人件費がかかりますから――
親が教員となるしかありません。
が――
ホーム・スクーリングとなれば、
――ちょっと空いた時間に勉強をみてあげる。
というわけにはいきません。
それなりに手間暇をかけなければ、少なくとも教育の質は保てません。
問題は――
その“それなりの手間暇”を、親が自分の仕事に支障をきたすことなく、かけられるのか、です。
親が自分の仕事に支障をきたせば――
収入が減ったり、家庭が散らかったりして、衣食住に事を欠きかねません。
そうなれば――
教育の質を保つどころではなくなります。
さらに――
ホーム・スクーリングの難点をもう1つ挙げるとすると、
――他者との交流
です。
教育の主たる現場が家庭になりますので――
何も対策をとらなければ、他者と交わる機会は極端に減るはずです。
とりわけ――
同年代との付き合いが減ります。
子どもには同年代との付き合いが必要です。
ここでいう「同年代」とは、必ずしも同い年の子どもたちだけを指すのではありません。
3~10歳くらいの年齢差に収まる年代は、すべて「同年代」といえます。
なぜ同年代との付き合いが必要かというと――
ある重要な社会的属性を共有しているからです。
その「社会的属性」とは、
――いま社会に参加をしつつあるものの、まだ本格的には参加をしていない。
という属性です。
この属性の有無は絶対的ではありません。
が――
些末的でもありません。
要点は、
――他者と自己との比較
です。
「いま社会に参加をしつつあるものの、まだ本格的には参加をしていない」という属性を共有している相手と自己とを比べることは、共有していない相手と自己とを比べることとは本質的に違った意義をもちます。
どちらの比較も、自己が置かれている社会的な状況を冷静に捉えるには、必要であり、どちらか一方で十分ということにはなりません。
この属性が失われる年代は、おそらくは30代以降です。
30歳になる頃から、多くの人たちは社会に本格的な参加をし始めます。
よって――
ホーム・スクーリングを行うならば――
子どもが約30歳以上の人たちとの交流に偏らないように気をつける必要がある、といえます。
教育の主たる現場を家庭に定めてしまうと――
子どもたちは、どうしても、親を筆頭に、30歳以上の人たちとの付き合いで占められてしまいがちです。