マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「社会科学」とは何かを考え抜く雰囲気を作る

 在韓アメリカ軍が撤退をしたら、日本列島の社会的環境に激変が起こりうる――ということについて――

 例えば、

 ――アメリカに代わってロシアや中国の軍隊が駐留する。

 とか、

 ――民主主義の政治が部分的ないし全面的に停止される。

 とかいった事態が起こりうる――ということについて――

 ここ数日の『道草日記』で述べています。

 

 よって、2020年代以降は、社会科学教育が重視されるようになり、2010年代以前に重視されてきた自然科学教育は、少なくとも従来の通りには、重視されなくなってくるであろう、とも述べました。

 

 一方で、

 ――「教育」とは「影響」である。

 とも述べました。

 要するに、

 ――今の世代が次の世代を思うとおりに育てあげることなど、とうてい期待できない。

 ということです。

 よって、例えば、

 ――これからの日本列島は、在日アメリカ軍ではなく、在日ロシア軍や在日中国軍を背負い込むことになるかもしれないから、ロシア語やロシアの歴史を学ぶこと、あるいは中国語や中国の歴史を学ぶことが大切だ。

 とか、

 ――これからの日本列島の社会では、民主主義が全面的に肯定されるようなことはなく、むしろ懐疑的ないし否定的な視線が向けられるかもしれないから、民主主義以外の政治制度を詳しく学ぶことが大切だ。

 とかいった主張には、あまり意味がないでしょう。

 そういった個別・具体的な教唆の明示を受けたところで、次の世代がそれを素直に受け入れるとは、とても思えないからです。

 ――今時、言語や歴史に拘泥していたら学ぶことが偏ってしまう。

 とか、

 ――「政治制度」という発想自体、政治の本質を見落としている。

 とかといわれ、かえって軽蔑されかねません。

 では、どうするか――

 

 僕は、より全般・抽象的な設問の暗示がよいと思っています。

 つまり、例えば、

 ――社会科学とは何か。

 ということを徹底的に考え抜く雰囲気を作るのがよい、と――

 

 そもそも、

 ――社会とは何か。

 から論じ起こして、

 ――社会科学とは、具体的に、どのような学問を指していて、かつ、どのような方法論を採ってきた学問なのか。そして、その方法論に落とし穴はなかったのか。

 といったことをこと細かに論じていく気分――時代の雰囲気を左右しうる社会的な気勢――そういうものを醸成していくことです。

 

 もちろん、「社会とは何か」とか「社会科学とは何か」とかいった議論は、他の学問分野と同様、専門家の間では、すでに散々に議論しつくされているはずです。

 が、そうした議論が専門家の周辺にとどまっているうちは、“時代の雰囲気を左右しうる社会的な気勢”にはなりえません。

 そのような問いかけが広く社会全体にいきわたるようでなければならない――そのような雰囲気こそが、次の世代に最も強い影響を及ぼしうるのです。

 ここでも鍵を握っているのは、

 ――「教育」とは「影響」である。

 という命題です。