マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「脳社会科学」あるいは「神経社会科学」

 ――社会科学の枠組みに「ヒト」という生物種の属性を導入する。

 という試みについて、きのうの『道草日記』で述べました。

 そして、そのような社会科学を、

 ――生物社会科学

 と呼ぶことにしたい、と――

 

 ――生物社会科学

 というのは僕の造語です。

 自分でも、

 (ずいぶん下手な造語だな)

 と思っています。

 なので、この言葉はいったん忘れていただいてもよいくらいなのですが、

 ――社会科学の枠組みに「ヒト」という生物種の属性を導入する。

 という着想については、

 (他に代わりうる着想はないだろう)

 と思っています。

 少なくとも、

 ――社会とはヒトの生態系のことである。

 を前提に据えるならば、社会科学にヒトの属性を導入するというのは、ごく当然の手続きです。

 ところで――

 

 社会科学に導入するべきヒトの属性――あるいは、つい導入したくなるヒトの属性――とは、どのようなことでしょうか。

 

 それに答えるには、まず「社会科学」の意味を確認しておく必要があります。

 一口に「社会科学」といっても、様々な学問があることは、あらためて指摘するまでもありません。

 思いつくままに挙げていくと、

  政治学

  経済学

  法学

  教育学

  経営学

  社会学

 などです。

 これらの学問は、きのうの『道草日記』で述べた通り、すべて言葉が基礎となっています――例えば、言葉を扱わない政治学などは、ありえないでしょう。

 では、その言葉とは、何か――

 

 ヒトの脳が活動をする結果として出力される情報です。

 

 では、ヒトの脳の活動とは何か――

 

 それは、

 ――ヒトの脳を構成する神経細胞の機能の集合

 である、というのが、現時点でのヒトを対象とする学問――ヒト生物学、あるいは脳科学神経科学など――の総意です。

 よって、つい社会科学に導入したくなるヒトの属性とは何か――答えは明らかでしょう。

 

 それは、

 ――ヒトの脳の性質

 あるいは、

 ――ヒトの神経の性質

 です。

 

 つまり、「生物社会科学」は、

 ――脳社会科学

 あるいは、

 ――神経社会科学

 といいかえて差し支えありません。