――これからの社会科学は、自然科学的であるのがよい。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
その真意は、
――これからの社会科学は、再現性と反証可能性とが当たり前に求められる学問――自然科学のような学問――になるのがよい。
ということです。
社会科学は、いま過渡期にあるのだと、僕は思っています。
おそらくは長い過渡期でしょう――短くても30~100年くらい、長ければ100~300年くらいにもなるでしょう。
この過渡期の始まりは、
――社会とは、「ヒト」という生物種に固有の生態系である。
との洞察です。
そして、その終わりは、
――“脳の神経模様”がデータとして活用されうる研究環境
の到来です。
つまり、“脳の神経模様”が社会科学における研究の材料として自在に活用されるようになったときに、社会科学は、今日でいうところの自然科学と全く同じように、再現性や反証可能性が当たり前に求められる学問となっているはずです。
この過渡は、
――社会科学の自然科学化
と一見とらえられそうですが――そうではありません。
――社会科学と自然科学との境界が取り払われること
です。
それが完全に取り払われるときに、例えば、社会科学でも自然科学でもない、ただの科学が――再現性や反証可能性が厳しく求められる学問分野としての科学が――誕生していることでしょう。
つまり、僕がいいたいことは、
――社会科学から自然科学へ
ではなく、
――社会科学から、ただの科学へ
ということです。
同時に、
――自然科学から、ただの科学へ
でもあります。
この点において、いわゆる、
――自然科学至上主義
とは少し違います。