マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

歴史上の人物に対する精神分析が主流を占めることは

 虚構の学問分野としてではなく、実際の学問分野――あるいは、実際の学問分野の候補――としての心理歴史学があり、それは、

 ――国家などの大規模な人間集団について、その集団の振る舞いを規定すると考えられる集団心理を想定し、その心理を心理療法的に分析することで、その集団の歴史を理解しようとする試み

 である、ということを――きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ところが、心理歴史学の中では、必ずしも大規模な集団心理を想定しない手法も認められているらしく――例えば、歴史上の人物――政権などの強大な裁量を握っていた歴史上の人物――の精神分析を試みる手法もあるようです。

 もちろん、その精神分析は史料に頼るしかありません。

 実際の精神分析は当人への問診――質問と、それへの応答と――が大きな役割を担います。

 歴史上の人物に対して問診を行うことなど、できるわけがないので、そうした史料に頼った精神分析は不十分な成果しかもたらさないでしょう。

 そもそも、精神分析それ自体が、再現性や反証可能性の難点を指摘されているため、少なくとも自然科学的には受け入れられず、また、学問的にも幅広く受け入れられているわけではない、という現状があります。

 よって、今後、仮に心理歴史学が学問分野として大いに発展するにしても、歴史上の人物に対して精神分析を試みるという手法が主流を占めることは、おそらくありません。

 

 もし、心理歴史学が学問分野として十分に発展するとしたら、それは、大規模な集団心理を対象にすることが必要でしょう。

 そして、その心理は、9月27日の『道草日記』で述べたような“脳の神経模様”に裏打ちされた心理であることが必要でしょう。