マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

戦争は時に国家指導者が抱く不安や憤怒によって起こる

 ――戦争は必ずしも政治的な理由だけで起こるわけではない。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――戦争は政治の一部である。

 とはいわれますが――

 歴史を振り返ってみますと――

 戦争は、しばしば政治とは独立に、勃発をします。

 

 では――

 何が、政治とは独立に、戦争を起こすのか――

 

 ……

 

 ……

 

 それは、

 ――心理

 です。

 

 2つあります。

 

 1つは、

 ――「世論」という名の集団心理

 で――

 もう1つは、

 ――国家指導者が抱く個人心理

 です。

 

 きのうの『道草日記』で述べた、

 ――戦争は、煩悩、不安、憤怒のいずれかが原因で起こる。

 という命題に照らしていえば、

 ――政治

 というのは、

 ――煩悩

 に相当をし、

 ――心理

 というのは、

 ――不安

 や、

 ――憤怒

 に相当をします。

 

 心理には2つあるといいました。

 

 つまり、

 ――「世論」という名の集団心理としての不安や憤怒

 と、

 ――国家指導者が抱く個人心理としての不安や憤怒

 との2つです。

 

 この2つは全くの別物といってよいでしょう。

 

 集団心理というのは、統計的に移ろいます。

 

 統計的な現象は統計学によって記述が可能ですから――

 集団心理の移ろいの多くは予測が可能です。

 

 もちろん、その集団心理を成している要素の1つひとつ――個人心理の1つひとつ――の移ろいを正確に捉えることは不可能なのですが――

 集団心理という1つの集合の移ろいを傾向として捉えることなら、ある程度は可能です。

 

 ところが――

 

 ――国家指導者が抱く個人心理

 は、読んで字のごとく、個人心理そのものですから――

 当然のことながら、その移ろいの予測は不可能です。

 

 そして――

 この、

 ――国家指導者が抱く個人心理

 が、しばしば戦争の勃発に決定的な作用を及ぼすことは――

 歴史が伝えるところです。

 

 つまり――

 きのうの『道草日記』で、

 ――戦争は必ずしも政治的な理由だけで起こるわけではない。

 ということの真意は、

 ――戦争は時に国家指導者が抱く不安や憤怒によって起こる。

 というものです。